説明したらわかってくれるのか。
そうじゃない。その世界であそばせないといけない。
説明しないといけない強迫観念に陥っている人は多い。
わかってくれないと意味がないのはたしかだ。
しかし、「わかってくれること」が目的で、
それを達成しさえすれば終わりだろうか?
そうじゃないはずだ。
物語は説明書じゃない。
説明するのはその先、楽しむ為にするだけのことだ。
にもかかわらず、
トリセツをつくったらゲームが終わりだと思っている人がいやしないか?
物語における説明シーンは、
楽しむ為にある。
正確な説明すら必要ない。
説明そのものが面白くなれば、それはそっち優先の可能性すら検討してよいぞ。
説明を受けるのは、
その物語特有の、妄想を楽しむ為である。
その妄想そのものが面白くないならば、
どんな説明だって無駄だ。
説明が下手だから、きちんと説明しなきゃ、
と強迫観念にとらわれる必要はない。
それをちゃんとしようとして、
妄想のほうがつまらなくなるならば、
下手な説明のままのほうがましすらある。
もちろん最高の状態は、
説明がおもしろくて簡潔で、
その先のストーリーが面白いことだ。
だがまずは妄想の面白さを高めたまえ。
それが面白ければ、説明が下手でも補完してくれる。
どんなに説明が上手でも、保険の内容ならばそれはつまらないのだ。
ストーリーは説明の上手い下手を競う競技ではない。
そんなものはディベート大会やプレゼン大会に任せればいい。
物語にしかないものは、
「新しいシチュエーションと、
そこから始まるそこにしかない妄想」だ。
そこで競争するのだ。
まずはあなたの妄想を広く高く深くしよう。
それがないと、説明なんて何も面白くない。
観客に妄想させるのだ。
妄想の世界で遊ばせるのだ。
遊ぶために、最低限知っておくべきことだけを用意しなさい。
あとはいらないし、多少足りなくても補完する。
面白いならね。
説明しようとするな。
楽しませろ。
その世界の妄想が止まらなくなるようにせよ。
2021年01月27日
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