2021年01月27日

説明などいらない、妄想をよこせ

説明したらわかってくれるのか。
そうじゃない。その世界であそばせないといけない。


説明しないといけない強迫観念に陥っている人は多い。
わかってくれないと意味がないのはたしかだ。
しかし、「わかってくれること」が目的で、
それを達成しさえすれば終わりだろうか?
そうじゃないはずだ。
物語は説明書じゃない。
説明するのはその先、楽しむ為にするだけのことだ。

にもかかわらず、
トリセツをつくったらゲームが終わりだと思っている人がいやしないか?

物語における説明シーンは、
楽しむ為にある。
正確な説明すら必要ない。
説明そのものが面白くなれば、それはそっち優先の可能性すら検討してよいぞ。

説明を受けるのは、
その物語特有の、妄想を楽しむ為である。
その妄想そのものが面白くないならば、
どんな説明だって無駄だ。

説明が下手だから、きちんと説明しなきゃ、
と強迫観念にとらわれる必要はない。
それをちゃんとしようとして、
妄想のほうがつまらなくなるならば、
下手な説明のままのほうがましすらある。


もちろん最高の状態は、
説明がおもしろくて簡潔で、
その先のストーリーが面白いことだ。

だがまずは妄想の面白さを高めたまえ。
それが面白ければ、説明が下手でも補完してくれる。
どんなに説明が上手でも、保険の内容ならばそれはつまらないのだ。


ストーリーは説明の上手い下手を競う競技ではない。
そんなものはディベート大会やプレゼン大会に任せればいい。
物語にしかないものは、
「新しいシチュエーションと、
そこから始まるそこにしかない妄想」だ。
そこで競争するのだ。

まずはあなたの妄想を広く高く深くしよう。
それがないと、説明なんて何も面白くない。

観客に妄想させるのだ。
妄想の世界で遊ばせるのだ。
遊ぶために、最低限知っておくべきことだけを用意しなさい。
あとはいらないし、多少足りなくても補完する。
面白いならね。

説明しようとするな。
楽しませろ。
その世界の妄想が止まらなくなるようにせよ。
posted by おおおかとしひこ at 00:15| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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