という一文をネットで見て、なかなかの慧眼だなと思った。
物語というのはまさにこれを地で行く。
(iPhoneが「じでいく」を「時で行く」「自でいく」
しか変換できず笑う。「ぢでいく」で変換したら「痔で逝く」
一択になるし)
今までいた世界が事件により一変して、
冒険の旅に出る必要が出てくる。(一幕)
全くの別世界で冒険して、
ついに解決一歩手前までくる。(二幕)
最後の関門をクリアして、
もといた世界に戻る。
しかし冒険を経た今、
元の世界は少し違って見える。(三幕)
という構造になっている。
強制的引っ越し療法が、物語である。
ただ、強制的に冒険を強いられるのではなく、
どこかで覚悟を決めて、
自分の問題として解決まで決意する場面が途中である。
これを第一ターニングポイントといい、
二時間映画なら開始25分あたりが理想とされる。
命を賭ける冒険は、
他人に強制されるものではなく、
自分ごととして責任を持つわけだ。
自ら買って出た転地療法ともいうべきか。
一般に転地療養は、
気候が穏やかで身体にいい所で療養するが、
物語で転地するべき場所は、
いつもより危険で、
いつもより忙しく、
いつもより雄大で、
いつもより敵が多く、
いつもより喜びが大きく、
いつもより明るくいつもより暗い場所である。
この非日常性を味わうことが、
私たちが物語を見る目的だとも言える。
日常世界で椅子に座ったまま、
我々は危険でメチャクチャな世界へ転地療法するのだ。
現実ではそこで成功せず、認められないリスクが大きいが、
物語では必ず成功する。(ハッピーエンドの場合)
そこに無理がなく自然に、きちんと理由がある成功を描くことで、
私たちは転地療法成功の擬似体験を積める仕掛けなのである。
今ある世界は絶対ではなく、
もうひとつの世界があること。
今までの世界で必ずしも成功しなかった主人公が、
その世界では成功すること。
(自然に、無理なく、必然的に。
楽々ではなく命からがら)
別世界での成功を手に元の世界に戻ると、
世界は相対化され、
元の世界でも成功できる確信を持つこと。
この心の変化そのものが、
物語であり、転地療法である。
あなたの物語はそうなっているか?
ひとつも実現してなければ、
物語の体をなしてないと僕は思う。
(僕がバッドエンドに否定的なのは、
この転地療法の効果こそが物語の一番の価値だと考えるからだ)
2021年01月22日
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