2021年01月22日

引っ越しはもっともポピュラーなショック療法

という一文をネットで見て、なかなかの慧眼だなと思った。


物語というのはまさにこれを地で行く。

(iPhoneが「じでいく」を「時で行く」「自でいく」
しか変換できず笑う。「ぢでいく」で変換したら「痔で逝く」
一択になるし)



今までいた世界が事件により一変して、
冒険の旅に出る必要が出てくる。(一幕)

全くの別世界で冒険して、
ついに解決一歩手前までくる。(二幕)

最後の関門をクリアして、
もといた世界に戻る。
しかし冒険を経た今、
元の世界は少し違って見える。(三幕)

という構造になっている。

強制的引っ越し療法が、物語である。

ただ、強制的に冒険を強いられるのではなく、
どこかで覚悟を決めて、
自分の問題として解決まで決意する場面が途中である。
これを第一ターニングポイントといい、
二時間映画なら開始25分あたりが理想とされる。

命を賭ける冒険は、
他人に強制されるものではなく、
自分ごととして責任を持つわけだ。

自ら買って出た転地療法ともいうべきか。


一般に転地療養は、
気候が穏やかで身体にいい所で療養するが、
物語で転地するべき場所は、
いつもより危険で、
いつもより忙しく、
いつもより雄大で、
いつもより敵が多く、
いつもより喜びが大きく、
いつもより明るくいつもより暗い場所である。

この非日常性を味わうことが、
私たちが物語を見る目的だとも言える。

日常世界で椅子に座ったまま、
我々は危険でメチャクチャな世界へ転地療法するのだ。


現実ではそこで成功せず、認められないリスクが大きいが、
物語では必ず成功する。(ハッピーエンドの場合)
そこに無理がなく自然に、きちんと理由がある成功を描くことで、
私たちは転地療法成功の擬似体験を積める仕掛けなのである。


今ある世界は絶対ではなく、
もうひとつの世界があること。

今までの世界で必ずしも成功しなかった主人公が、
その世界では成功すること。
(自然に、無理なく、必然的に。
楽々ではなく命からがら)

別世界での成功を手に元の世界に戻ると、
世界は相対化され、
元の世界でも成功できる確信を持つこと。

この心の変化そのものが、
物語であり、転地療法である。


あなたの物語はそうなっているか?
ひとつも実現してなければ、
物語の体をなしてないと僕は思う。

(僕がバッドエンドに否定的なのは、
この転地療法の効果こそが物語の一番の価値だと考えるからだ)
posted by おおおかとしひこ at 00:11| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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