2021年01月25日

速度の差はどれくらいか

物語の進む速度を考えよう。
仮にスピードメーターがついていたとして、
展開のゆっくりなところと、怒涛の展開は、
どれくらいのスピード差があるだろう?


僕は10倍くらいあっていいと思っている。

「展開の速度」は、客観的な指標がない。
「展開の大きさ」を定義できないからね。
10展開単位/ページなんて速度を定義できない。

でも主観的に感じる展開の速さというのはある。

仮に基準を5としたとき、
ずっと5だと単調だ。
ていうか、色んなことが起こるストーリーというものを、
全部同じ速度に揃えることは逆に不可能だろう。

それは、456くらいを使い分けるのか、
それとも、1〜5〜10くらいの幅があった方がいいか、
という話である。


ダイナミックレンジという言葉がある。

写真や絵で言うと、
最も明るい白と、最も暗い黒の、明るさの幅のこと。
音でいうと、
最も音量の大きい音と小さい音の、強さの幅のこと。

このレンジが狭いほど表現力がなく、
広いほど表現力が豊かだとされる。

速度のダイナミックレンジは、
ざっくり言えばセックスのピストンだ。
ゆっくりから全力まで、幅があった方が単調でない、
ということだ。
サーキットにおけるコーナーの配置だと考えてもいい。
高速コーナーからシケインから、フルストレートまであるわけだ。

ストーリー作りがよくジェットコースターに喩えられるのは、
こうした速度のダイナミックレンジをどうするか、
ということに似ているからかも知れない。


で、実のところ、
ストーリーの展開の速度は、
執筆時にはコントロールしようがないと僕は思う。

一般に、
展開が速いところは早く書けて、
展開が遅いところは苦労すると思う。

しかし、
お喋りさせるのが楽しくて全くストーリーが進んでいないところや、
怒涛の展開を書くのが難しく、
そのパズルを組むのに時間がかかることもよくある。

執筆の速度と展開の速度には、
緩い相関しかないと思われる。

だからこの速度設計は、
一度書き終えたもののリライトでやるべきことかもだ。


スピードメーターがあると想定して、
ここの速度はどうなってるかを、
読みながら(あるいは演じながら)測定していく。

ギクシャクするところは滑らかにしたほうがいいだろう。
徐々に加速したほうが気持ちいいか、
いきなりガッといって驚かせたほうがいいか、
減速はゆっくりなのか、
突然停止してショックを与えるか。

あるいは丁寧に描いている所を全カットして一気に進めたり、
速いところをじらすのもありだろう。


それらのダイナミックレンジを、
10倍くらいに取るといいんじゃないか?
というのが本題だ。

456のどれかしかないなら、
非常に淡々としたものに見える。
よほど緊張感が保てれば別だが、
どこかで退屈がやってくる。
人はスピードに慣れてしまうからだ。

展開の速度で振り回すのは、
慣れさせない為、読ませない為、
ということが出来る。
フェイントはその為にあるわけだ。

456しかないな、と感じたら、
6を10にリライトしてみよう。
4を1にリライトしてみよう。
間が必要なら間を作ったり、
間があることで退屈なら一気に加減速しよう。

ペースのコントロールはストリーテラーに任されている。

演劇ならば、客の顔を見ながら、
チェンジオブペースをすることがある。
生の講演会でも同じだ。

しかし映像は相手の顔が見えないので、
「自分がこれを味わうとしたら」
という感覚でやるしかない。

ストーリーテラーは、
毎回初見の観客として、
一番面白いバージョンにストーリーを練り上げる。

それには、
展開速度のダイナミックレンジは、
大きい方がダイナミックに楽しめる、
という話である。



実は高画質化したことによって、
フィクションがつまらなくなったのは、
このダイナミックレンジを使いこなせていないからだと、
僕は考えている。

高画質化とは、
ダイナミックレンジが広がることであった。

しかし小さい話は、
そのダイナミックレンジをつかいこなせない。
一番デカい音を使えず、
小さい音でまとまってしまうのだ。

一回しかフルレンジ使わない話でも詰まらない。
フルレンジは何回も使うべきだ。

今のしょぼいフィクションは、
フルレンジ使いこなせるだけのスペックが、
ストーリー自身に足りてないのだ。


(もっとも、絵のダイナミックレンジをフルに使うのは、
予算が桁違いにいるわけだ。
エキストラは大量にいるし、
美術や衣装はリアルに作らないとバレるし、
CGも金がバンバンかかる。
このため、高画質のフルレンジを使えない、
という、
「高画質化したためゲーム性を練る予算がなくなった」
ゲームのような現象が起きているのはたしかだ)


456を拡大して、
8910のストーリーにしてもだめだ。
人は慣れるから、456の話に見えてしまう。

1〜10の話にしないと、
ダイナミックにはならないだろう。

絵のダイナミックさがなくたって、
話のダイナミックさがあれば、
ストーリーは持つ。

そしてそれは、シナリオにしか書かれていない。
役者のアドリブやカメラマンの粋な何かで、
変わるものではない。
posted by おおおかとしひこ at 00:56| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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