ある展開を書いているとき、
疑問を潰しておきたいことが出たとしよう。
「もし〇〇になったらどうする?」
「その時は〇〇をするんだ」
「もし〇〇の仕業だとしたら?」
「いや、違うな。だって〇〇だろ」
みたいな会話をして、疑問点を潰しておくことが、
たまにあると思う。
これ、リライトのときに消滅しがち。
今までの展開や流れを把握しているからこそ、
次することを考えるとき、
単純でないことを頭の中でシミュレーションして、
疑問点が出てくるというものだ。
それは作者も思うし、
登場人物も思うし、
第一、観客も思うのだ。
「〇〇である可能性」「〇〇でない可能性」を、
もし疑問に思えば、その場で潰しておくべきだろう。
そうすることで、
「〇〇はない。△△に集中すればいい」
という風に焦点をはっきりさせられるからである。
最初からこれを書いている場合は、
ある程度これに配慮することが出来る。
作者もそう思ってしまうからね。
頭から書けば、
あらゆるストーリーの可能性を考えながら見ているから、
これはない、これもない、あとはこれだ、
という風に考えたりするものだ。
ところがリライトになると、この関係性が壊れがちだ。
ある部分とある部分を入れ替えたり、
事情をまったく違ったものにしたりして、
「〇〇の可能性は?」という会話部分を削除してしまいがちだからだ。
リライトされたらされたで、
別の△△の可能性があるのでは、
などといった疑問が素直に出てくることもあるのだが、
それは「頭から書いている状態」ではないため、
気づくことが出来ない。
で、リライトしたものは、
ある時点で思う疑問に答えていない、
とても不親切なものになる。
で、説明が足りないと思って、
余計な台詞が足されてしまい、
なんだか説明くさいものになってしまう。
これは、リライトの時点で、
「疑問に思うことを事前に潰す」がうまいこと機能しなくなってしまっているからだ。
最初から見ているつもりになって書けば、
そうしたことに気づけるが、
リライトはたいてい部分で済ませるため、
こうしたミスが起こりやすい。
結果、
説明不足、
または説明がもっさりしている、
あるいは不親切で不審になる、
という三通りの結末を迎えることになる。
いずれも、
適切なタイミングで適切な疑問に適切にこたえるという、
「打てば響く」という観客と物語の関係性を放棄してしまっている。
これを防ぐには、
最初から読むしかないんだよね。
疑問に思うことは、初見の観客じゃないと出来ないことで、
リライトしている時点で、それをなかなか再現出来ない。
「これから起こることをわかっている想定」になってしまう。
「あれ? これは潰したほうがいい疑問なのでは?」
ということは、常に思おう。
「前に書いていたことだから」と通りすぎることでも、
改めて疑問を潰したほうが良いかも知れない。
観客に信用されるには、
「今こう思っているんだけど、どうだろう」
にうまく答えることが肝心で、
それを放っておくと、信用される語り手にはなれない。
勿論、「Aの可能性はあるか?」という疑問をわざと忘れたふりをして、
「実はAでしたー!」というどんでん返しを用意することもあるから、
わざと無視することはひとつの選択肢ではある。
だとしたら、Aの可能性に気づかれないように、
BやCの話をして気を逸らしておかないといけないよね。
優れた書き手は、読み手が疑問に思うことに先回りすることが出来る。
何故なら、自分の中で議論しながら書いているからだ。
相手を説得するからには、
疑問点を一個一個潰して、すべて棄却する必要があり、
それを分り易い順で提示しているから、
論が素直に腑に落ちるのだ。
疑問に思うことは重要だ。
それをきちんと誰かに言わせて、
きちんと棄却しよう。
そうすることで、
〇〇ではなく、△△に集中させることが出来る。
そのとき、観客とストーリーは一体である。
2021年01月28日
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