2021年01月29日

細かいレベルで見えてるのは10Pまで説

10かどうかは人によるだろうけど、
ラストまで全部執筆レベルで一字一句見えてるってことはないと思う。


どんなにプロットを綿密につくろうが、
設定を細かくしようが、
必ず執筆は途中で止まる。

「一度も立ち止まらずに、最後まで書ける」
は不可能ではないかと僕は思う。

つまり、
「執筆中は、何度も何度も筆が止まる」
に遭遇する。
100%と断言しよう。

ここで二度と走れなくなった人は脱落し、
再び走れた人だけが次に行き、
これを何度も(何十回も)乗り越えた人だけが、
ラストシーンまで書ける。

完走率の統計を取ってみたいくらいだ。
「ちょっと小説やシナリオ書いてみよ」
って世の中で思った人全員の統計を取ってみたい。
完走率は、1/10000以下だと僕は感じる。


その最大の原因は、
「ここから何をしていいか分からない」だと思う。
もう少し細かく見ると、
「大きくはこういう方向だと思うけど、
実際どうやって書いたらいいのか分からない」
だと思う。

すなわち、
「執筆レベルほどには、
細かくできていない」
ではないだろうか?


どこで何が起こるのか、
誰が誰に何をどう言うのか、
なぜそれをするのか、
どうするのか、
誰が第一声を言い、誰がそれに続くのか。

そういう細かいレベルで見えていないから、
立ち止まってしまうのだろう。


で、逆に考えて、
「人が執筆レベルまで細かく見えているのは、
何P先まで?」
という質問にしてみたわけだ。

一作品に一回くらいある、
すごく明瞭な時でも15Pだろう。
だいぶ調子がいい時でも10Pだろう。
普通は2、3Pだろう。

見えているところまでは書ける。
「ここまで書けばワンブロック終わり」までは頑張れる。
しかしその先のブロックが見えてなくて、
途方に暮れることはよくあることだ。


だから、「今どの辺までクリアに見えているか」
を時々測定してみよう。

あるブロックの終わりまで書けば一段落する、
と思っていて、そこまでたどり着くことを目的にしてはいけない。

そのブロックの先が不透明ならば、
たどり着いたらおしまいだ。
そこでエンドでないならば、
その先も見えていないと、執筆は継続できない。

そしてそれは頻繁に起こる。
「このブロックまでは頑張ろう」は、
執筆のいいリズムなんだけど、
その先が全く不透明になりがちだ。


「オープニングは勢いよく書けたが、
急に書けなくなった」はよくあることだが、
それだって最初の10Pくらいしか見えてなかったからだと、
僕は思う。
見えていた所を書いてしまっておしまいになっただけなのだ。

次が見えるまで、立ち止まるしかない。
立ち止まって、その先を必死で作るしかない。
数Pも先まで見えればいい方だ。
ワンシーンしか見えてなくてもいい方だ。
「次に、○○が、○○と言う」までしか見えてないこともある。

さあどうする。
大体どうなるかはプロットに書いてある。
でも細かい段取りまでは書いていない。

ならば、
ひとつずつ細かい段取りを、
ここからここで作っていくしかない。


以前調子良く書いてた時は、
見えていたから書けたのだ。
今見えてないから書けないだけだ。

その先を、執筆レベルで細かく見えるようにしよう。

それは、あなたの妄想力にかかっている。


10P先まで見えるか?
2シーン先は?
このシーン全体は?
このシーンはセリフで終わる?
何かのアップで終わる?
それすら見えてないなら、一行だって進まない。

立ち止まり、寝転がり、妄想しよう。

こいつがこう言ったらこいつはこう返すだろう。
じゃあこいつもこう言うだろう。
そうだ、あのことに触れておかなければ。
あ、やっぱダメだ、最初からやり直し、
そうしたことの繰り返しだろうね。

あなたにはっきり見えるまで、
あなたのストーリーは暗闇で待っている。
それを少しずつ見ていくしかない。
posted by おおおかとしひこ at 00:16| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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