2021年02月13日

思いつきと着地

「こんなんあったらおもろいやろなー」
と考えるのは、創作の第一歩だ。

実は色んな創作物は、それだけで出来てしまうのだが、
ストーリーはそうではない。
これが、ストーリーの難しい点だ。


こんなんあったらおもろいやろなーというのを、
思いつきと呼ぼうか。

絵、工作的な発明、彫刻など3D作品、手芸、
音楽、写真、衣装、メイク、
詩、ある種の考えや思想、
見た目のデザイン

などは、ほぼこれを具現化すればフィニッシュだ。

ところがストーリーはこのジャンルではない。
「その面白い思いつきが、
どのような落ちを迎えるか」
までがストーリーなのだ。

始まって終わらないのはストーリーではなく、
始まってきちんと完結するのがストーリーである。


だから、「面白いストーリー」には、
三種類ある。

「その思いつきが面白いもの」
「その落ちが面白いもの」
「思いつきが面白く、かつ落ちも見事で、
その思いつきが落ちに不可欠な、完全な面白さ」

だ。

実のところ、
「面白い漫画」は一番目の時点で評価される。
最終回が微妙でも名作扱いはされる。
どこかにピークがあればそれで良いからだ。

ある種の落語は、二番目が評価されがちだ。
どんでん返しものもそうだろう。
映画「運命じゃない人」は、
後半のどんでん返しが素晴らしいが、
前半は退屈だ。
しかし後半が評価され、歴史に刻むべき作品である。
「シックスセンス」も「ユージュアルサスペクツ」もだろう。


しかしほんとうの映画シナリオは、
三番目が要求される。

思いつきが面白く、かつ落ちも見事で、
なるほどそれをするにはそのペアが最高なものだ、
ということだ。

三つが面白くなきゃいけないのだ。



ストーリーを書こうとするとき、
「面白いのを思いついたぞ!」
だけで書き始め、
最後まで書けない理由がこれだ。

殆どの人は、
絵や手芸のようにストーリーを捉えている。
思いつけば書けると考えている。

だから挫折する。

ストーリーは残念ながら「思いついた」を形にして終わりではない。
それは絵でしかなくて、動くものとしてのストーリーではない。
その絵が、どう動き、どう結末を迎えるかまでがストーリーで、
ストーリーはその総合点で決まる。
「思いついた」で絵は100%終了だが、
ストーリーでは33%しか終了していない。

だから挫折する。


「アイデアが全て」なんて創作論では言われる。

そのアイデアは、思いつきだけだと思うと、
33%スタートになってしまう。
だから最後まで書けない。

思いつきと着地と、そのペアとしての関係性、
100%すべてのアイデアを作ってからでないと、
ストーリーのアイデアとは言えないのだ。

アイデアが全てなのは真であるが、
ことストーリーに関しては、一点がアイデアではなく、
三点がアイデアなのである。


今日もあなたは何かを思いつくだろう。
それはとても良い。

だがそれが単なる考えという一単位ではストーリーにならないことは、
覚悟した方が良い。

しかし、滅多に思いつくものではないから、
思いつきはアイデアノートに記しておく。

別の日に見返していると、
それが根を張り二つ目のアイデアに結びつき、
三点揃うかも知れないので、
疎かには出来ないものだ。


ストーリーは一点突破が出来ない、
創作物としてはとても難しいジャンルである。

キャラクター、設定、世界観、絵、名台詞など、
ストーリーに登場する別の要素は、
一点突破が可能だ。

これが、初心者をして、「書ける」と勘違いさせがちなものたちである。
一点突破出来そうと思えてしまう。

ストーリーを作るには、
思いつき、その着地、
思いつきと着地の関係性が必然的で錬られた、
これ以外ありえない組み合わせになっていること、
の三点突破が必要である。

こうしたことを知らないと、
間違って書き出してしまって挫折して、
なんでだろうと永遠に彷徨うことになる。


長編でこれは難しいので、
短編で習作することだ。
5枚とか15枚でいい。
思いつきと着地と、思いつきと着地の関係を、
何個も俯瞰できるものを作って、
比較検討してみない限り、
このことを体得することは難しい。
posted by おおおかとしひこ at 00:45| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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