2021年02月02日

同じ動作でも意味を変えることができる

(某ソシャゲの話は一旦おしまいにして、本論に戻ります)

文脈を変えることで、
同じ動作でも異なる意味を持たせることができる。

例で示す。
「反復横跳びをする」という動作に異なる意味を持たせよう。


特別な文脈がない場合、
これは「体力測定をする」という意味になるだろう。

この回数が100を下回ったら老人確定、
という意味が加わったら、その必死さに幾ばくかの理由がつくだろう。

しかし100を超えるのに必死で、
そのあと血管が切れて死んでしまう人がいれば、
反復横跳びは皮肉の意味になるだろう。


あるいは単純に、
「回数の多い方が勝ち」というルールを設定すると、
急にこれは勝負の場になるだろう。
滑るアクシデントなどがハラハラポイントになるかも知れない。

勝負には動機が必要で、
単なるマウンティング合戦の場合もあれば、
「勝った方がデート権を取れる」勝負もあれば、
「勝った方がキャプテン」という勝負もあるだろう。

さらに極論すると、
「回数の低い順から殺される死刑囚」にしてしまえば、
必死さが増すかも知れない。

「アイドルグループのセンターを決める大会」にしてもいい。
実際はじゃんけん大会であった。

「勝ったら一億円」という金持ちの娯楽でもいい。
「ただし場外乱闘は不問」という条件をつけると、
急に反復横跳び以前の場面も面白くなる。
(ちょうど「喧嘩稼業」がそれ。休載しすぎだが)

「勝たないと地球消滅になる、
別次元からの侵略者との勝負になった」
という文脈ならば、
地球最速の反復横跳び選手権になるだろう。

ドーピングありで、
競技終了の瞬間死んでもいいくらいの、
地球科学の最高峰の反復横跳びになるだろう。



絵面は、単なる反復横跳び。

しかしその理由、動機、目的などを変えることによって、
こんなにもこの場面の意味が変わるわけだ。



さて本題。

リライトをするとき、
これを考えるのだ。

絵面、動作、動線、結果は同じだとしても、
その意味を変えることが可能である。
文脈を変更することでだ。


たとえば。

ロッキーのボクシングのクライマックスはそのままだとしても、
「エイドリアンを人質にした。負けろ」
という脅迫シーンを前に足すだけで、
試合の意味はガラリと変わってしまうだろう。

こうしたことが出来ないか?
と考えるのもリライトだ。


絵や動詞の組み合わせを整えることは、
結構難しい。
バランスや間を整えて作らなければならないからね。

これに比べて、文脈を変えることは、
意外と簡単にできる。
前にシーンを足したり、
設定パートを弄ればいいからだ。

ボクシングシーンを反復横跳びシーンに変更するのは大変難しいが、
「己の存在証明をする」文脈を、
「誘拐された彼女のために負ける」文脈にすることは、
電話一本かければ済むのである。
これによってテーマすら変更を受けることになるだろう。


これが、リライトの醍醐味ではないかと僕は思う。


動作、表現されたシーン、モチーフは同じ。
しかし意味、文脈、テーマを変更することはできる。

リライトの時にそうしたことを意識すると、
直すべき部分の見方が変わるよ。
posted by おおおかとしひこ at 00:17| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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