(某ソシャゲの話は一旦おしまいにして、本論に戻ります)
文脈を変えることで、
同じ動作でも異なる意味を持たせることができる。
例で示す。
「反復横跳びをする」という動作に異なる意味を持たせよう。
特別な文脈がない場合、
これは「体力測定をする」という意味になるだろう。
この回数が100を下回ったら老人確定、
という意味が加わったら、その必死さに幾ばくかの理由がつくだろう。
しかし100を超えるのに必死で、
そのあと血管が切れて死んでしまう人がいれば、
反復横跳びは皮肉の意味になるだろう。
あるいは単純に、
「回数の多い方が勝ち」というルールを設定すると、
急にこれは勝負の場になるだろう。
滑るアクシデントなどがハラハラポイントになるかも知れない。
勝負には動機が必要で、
単なるマウンティング合戦の場合もあれば、
「勝った方がデート権を取れる」勝負もあれば、
「勝った方がキャプテン」という勝負もあるだろう。
さらに極論すると、
「回数の低い順から殺される死刑囚」にしてしまえば、
必死さが増すかも知れない。
「アイドルグループのセンターを決める大会」にしてもいい。
実際はじゃんけん大会であった。
「勝ったら一億円」という金持ちの娯楽でもいい。
「ただし場外乱闘は不問」という条件をつけると、
急に反復横跳び以前の場面も面白くなる。
(ちょうど「喧嘩稼業」がそれ。休載しすぎだが)
「勝たないと地球消滅になる、
別次元からの侵略者との勝負になった」
という文脈ならば、
地球最速の反復横跳び選手権になるだろう。
ドーピングありで、
競技終了の瞬間死んでもいいくらいの、
地球科学の最高峰の反復横跳びになるだろう。
絵面は、単なる反復横跳び。
しかしその理由、動機、目的などを変えることによって、
こんなにもこの場面の意味が変わるわけだ。
さて本題。
リライトをするとき、
これを考えるのだ。
絵面、動作、動線、結果は同じだとしても、
その意味を変えることが可能である。
文脈を変更することでだ。
たとえば。
ロッキーのボクシングのクライマックスはそのままだとしても、
「エイドリアンを人質にした。負けろ」
という脅迫シーンを前に足すだけで、
試合の意味はガラリと変わってしまうだろう。
こうしたことが出来ないか?
と考えるのもリライトだ。
絵や動詞の組み合わせを整えることは、
結構難しい。
バランスや間を整えて作らなければならないからね。
これに比べて、文脈を変えることは、
意外と簡単にできる。
前にシーンを足したり、
設定パートを弄ればいいからだ。
ボクシングシーンを反復横跳びシーンに変更するのは大変難しいが、
「己の存在証明をする」文脈を、
「誘拐された彼女のために負ける」文脈にすることは、
電話一本かければ済むのである。
これによってテーマすら変更を受けることになるだろう。
これが、リライトの醍醐味ではないかと僕は思う。
動作、表現されたシーン、モチーフは同じ。
しかし意味、文脈、テーマを変更することはできる。
リライトの時にそうしたことを意識すると、
直すべき部分の見方が変わるよ。
2021年02月02日
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