あっと驚く伏線は伏線の華だけど、
そうじゃない伏線の方が、実は地味に大事である。
唐突な展開を防ぐ、接着剤の役割を果たすからだ。
A→B→C→D
と、ストーリーが進行するとする。
A→B→Cは惰性で見れたとしても、
そろそろ退屈してくるものだ。
展開に必然性が欲しくなる。
実際ランダムに起こったとしても、
展開は必然を要求する。
論理的に展開しないと、ストーリーから逸脱しているように感じる。
C→Dで退屈を感じたとしよう。
直結したストーリー展開が長引き、
緊張が薄れ、
必然性のある展開がなくなってきた証拠である。
こういう時、
つい別のサブストーリーを始めてしまい、
元の路線に戻って来れないことは、
稀によくあることだ。
要するにサブストーリーに逃げてるんだよね。
そこでの成果を持って本線に戻れればいいけど、
すでに退屈フラグが立ってるから、
脱線したまま戻って来ない方が楽になる。
で、脱線に脱線を重ねて、
「何がしたいんだっけ?」になることは明らかだ。
本線から脱線しないためには、
ここの直列の退屈ポイントを、
面白くしなければならない。
ここで伏線が使えるんだよね。
Cの途中で実はダレが始まっている。
ということは、そもそもCを面白くすればいい。
ただ、
Aでした、Bでした、そしてCでした、
となるから退屈なのだ。
Cになったのは、実はAに出てきたアレを利用したから、
という風にリライトしてみよう。
ついでにBが功を奏しても良い。
そこに必然性が生まれる。
AゆえにC、BゆえにC、という二重の必然性だ。
AゆえにB、BゆえにC、CゆえにD…
と続く単調な展開よりも、
必然性の鎖が強くなるわけである。
「Aに出てきたアレ」のことを伏線といい、
Cをその解消というわけである。
伏線と解消は、どんでん返しだけに使うのではない。
こうした、
必然性の薄い展開に、
強力な因果関係をつくり、
必然性盛り盛りの展開に作り直すことに、
使えるのだ。
あー、だからDかー、なるほどー!
となれば、
もはやC→Dの接続を工夫する必要すらないかも知れないぞ。
淡々と単調に、必然性が薄れる退屈になるならば、
因果関係をもう一つ仕込もう。
それには、前の何かを利用すれば良い。
それがここに効いててこうなるのか、
と思うだけで、面白さは回復する。
もしそんな因果がなさそうなら、
Cで使うものをAに仕込み直すところからやり直しだ。
2021年01月31日
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