間違えがちなリライト。
自戒を込めて書いておく。
前の原稿で、ちょっと分かりにくい箇所が出たとする。
自分ではそれほどでも、と思っていても、
第三者に分かりにくいと言われると不安になる。
で、その場で説明を足して、
その部分だけを見せると、
「分かりやすくなった」となり、事なきを得た、
と思う。
これは、間違っている、という話をする。
そもそも、
何故その箇所を、
その一見足りない、少ない分量で書いたか?
を見落としている。
それは、その箇所は、
そのリズムで、そのスピードで進むべき箇所だったからだ。
その部分はその程度の重点でしかなく、
さっさと終わらせて次へ行きたいような、
その速度感のパートであったはずだ。
つまりその箇所だけでなく、
その前後や全体を鑑みて、その分量で書いたはずなのだ。
それを無視して、そこで説明を足し込むとどうなるか。
足が止まるのだ。
折角スルスルとリズミカルに進んでいたものが、
そこで足止めを食ってしまうのである。
ドラマーを想像しよう。
いいテンポで来たドラムが、
ひとつだけめっちゃリズムを殺したとする。
その後元のいいリズムに戻っても、
前ほど乗れるか?
たぶん、そのあとは台無しになると思う。
それくらい、リズムのつまづきは気をつけた方がいい。
歩くことを想像してもいい。
ある箇所だけめっちゃゆっくりにして、
その後前のリズムで歩けるわけがない。
ゆっくりなった箇所の倍くらいかけて、
ゆっくりから元のペースに戻るパートが必要になる。
もうそうなったら、全体のリズミカルなものは破壊されたも同然だ。
つまり、その箇所がその短さであるには、
(理屈じゃない、本能的な)理由がある。
しかしその理由は書いていないので、
リライト時に読み取れないことが多いということだ。
リズムを壊さないリライトならば救いはある。
でも大概、分かりやすくしようとして、
増やしてしまうだろうね。
防ぐ方法はひとつ。
そのリズムを壊さない、
だいぶ前のところで、
今の表現(量)でも理解できる説明を足しておく事である。
そこでその説明を足したとしても、
ダメージを受けないゆっくりな所があるから、
そこに足しておく。
そうするとそれが伏線、もしくは記憶にあるベースになるから、
問題の箇所が来ても、
スムーズに理解してテンポが崩れないのである。
理想は、その足す部分と、
該当箇所両方をうまくペアでリライトすることだけど、
ずっと前に足す部分だけをリライトしてもいいぞ。
ストーリーは人体の気の流れのようなものだ。
患部ではなく、
遥か遠い所のツボを刺激した方が、
患部が良くなることがままある。
では、その説明を足すべき、前の場所とはどこだろう?
その情報に関することを、知りたい時だと思う。
そこで説明すれば、その説明は素直に受け入れられる。
そもそも、聞きたくもない所で説明されたって、
その説明は邪魔でいらないものである。
それがとても知りたいと思わせてない時点で、
そもそもそのストーリーは滑り気味であることを、
自覚した方が良い。
「ここが分かりにくい」は結果に過ぎない。
原因は「ここ」ではなく、
そのずっと前に、
それを知りたいと思わせていないことかも知れないぞ。
そこまで指摘できる第三者は、スクリプトドクターになれる。
そんな人に見せられる環境ではないだろう。
ということは、
「ここが分かりにくい」という他人の指摘は、
真の原因箇所ではなく、
ただの表面の症状であると思うべきである。
2021年02月06日
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