2021年02月06日

そこに足すんじゃない、もっと前に足すんだ

間違えがちなリライト。
自戒を込めて書いておく。


前の原稿で、ちょっと分かりにくい箇所が出たとする。
自分ではそれほどでも、と思っていても、
第三者に分かりにくいと言われると不安になる。

で、その場で説明を足して、
その部分だけを見せると、
「分かりやすくなった」となり、事なきを得た、
と思う。

これは、間違っている、という話をする。


そもそも、
何故その箇所を、
その一見足りない、少ない分量で書いたか?
を見落としている。

それは、その箇所は、
そのリズムで、そのスピードで進むべき箇所だったからだ。


その部分はその程度の重点でしかなく、
さっさと終わらせて次へ行きたいような、
その速度感のパートであったはずだ。

つまりその箇所だけでなく、
その前後や全体を鑑みて、その分量で書いたはずなのだ。

それを無視して、そこで説明を足し込むとどうなるか。

足が止まるのだ。

折角スルスルとリズミカルに進んでいたものが、
そこで足止めを食ってしまうのである。


ドラマーを想像しよう。
いいテンポで来たドラムが、
ひとつだけめっちゃリズムを殺したとする。
その後元のいいリズムに戻っても、
前ほど乗れるか?
たぶん、そのあとは台無しになると思う。

それくらい、リズムのつまづきは気をつけた方がいい。

歩くことを想像してもいい。
ある箇所だけめっちゃゆっくりにして、
その後前のリズムで歩けるわけがない。
ゆっくりなった箇所の倍くらいかけて、
ゆっくりから元のペースに戻るパートが必要になる。
もうそうなったら、全体のリズミカルなものは破壊されたも同然だ。


つまり、その箇所がその短さであるには、
(理屈じゃない、本能的な)理由がある。
しかしその理由は書いていないので、
リライト時に読み取れないことが多いということだ。

リズムを壊さないリライトならば救いはある。
でも大概、分かりやすくしようとして、
増やしてしまうだろうね。


防ぐ方法はひとつ。
そのリズムを壊さない、
だいぶ前のところで、
今の表現(量)でも理解できる説明を足しておく事である。

そこでその説明を足したとしても、
ダメージを受けないゆっくりな所があるから、
そこに足しておく。

そうするとそれが伏線、もしくは記憶にあるベースになるから、
問題の箇所が来ても、
スムーズに理解してテンポが崩れないのである。


理想は、その足す部分と、
該当箇所両方をうまくペアでリライトすることだけど、
ずっと前に足す部分だけをリライトしてもいいぞ。


ストーリーは人体の気の流れのようなものだ。
患部ではなく、
遥か遠い所のツボを刺激した方が、
患部が良くなることがままある。

では、その説明を足すべき、前の場所とはどこだろう?

その情報に関することを、知りたい時だと思う。
そこで説明すれば、その説明は素直に受け入れられる。


そもそも、聞きたくもない所で説明されたって、
その説明は邪魔でいらないものである。
それがとても知りたいと思わせてない時点で、
そもそもそのストーリーは滑り気味であることを、
自覚した方が良い。


「ここが分かりにくい」は結果に過ぎない。
原因は「ここ」ではなく、
そのずっと前に、
それを知りたいと思わせていないことかも知れないぞ。

そこまで指摘できる第三者は、スクリプトドクターになれる。
そんな人に見せられる環境ではないだろう。
ということは、
「ここが分かりにくい」という他人の指摘は、
真の原因箇所ではなく、
ただの表面の症状であると思うべきである。
posted by おおおかとしひこ at 00:18| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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