2021年01月30日

なぜ「ブリジャートン家」は日本で見られないのか?

ネトフリで話題の「ブリジャートン家」が、
全世界でヒットしているにも関わらず、
日本でだけ見られていないという怪現象があるそうだ。
コロナで鬼滅ばっかり見てたというのもあるかもだが、
何故かを考えてみる。

とりあえず公式サイトと画像検索のワンビジュアルを見てみる。
そこにヒキがないからだと断言する。
(なお僕は一切内容を知らない。
今回は宣伝と象徴についての話だ)


まずワンビジュアルがこれ。
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公式サイトがこちら。
https://www.netflix.com/jp/title/80232398

このワンビジュアルの、どこに引かれればいいんだろう?

おそらく狙いとしては、
「華麗なる英国貴族もの。
私の恋した相手は…なんと黒人貴族?」
ということだろうか?

同ビジュアルの英語版を見ると、
タイトルは「Brigaderton the duke & I」
この、「the duke & I」の期待感を削っているタイトルになっていることで、
何が何だか分からなくなっているのが、
実は最大のミスではないかと感じた。

ブリジャートンは多分舞台になる場所か、
主人公の名前か、
相手の名前だろう。
何も情報量がない。つまり0だ。
「ドナテルロ」「リバプール」と区別がつかない。
だから記憶に残らず、スルーになる。
英語ネイティブには、
それが貴族ネームであることが分かるのかも知れないが、
日本人には分からない。
「近衛」「鷺ノ宮」「神宮寺」「沙耶小路」
などなら匂いを感じられるが、
その辺の庶民がブリジャートンでもああそうなん、
くらいしか名前からの情報量は0だ。


僕はこうした固有名詞タイトルは、
それだけでは機能せず、
何かしらの補助情報がいるべきだと考える。
「アルジャーノンに花束を」「風の谷のナウシカ」
などのように、
固有名詞×何かで、要素を豊かに膨らませるべきだ。
(「ロッキー」単体は?
「岩のような男」という愛称とビジュアルから、
偏屈な話なのか、すごいタフな話かを想像できるから、
ギリセーフかもしれない)

原題の「ブリジャートン: その男爵とわたし」
を、そのまま生かした方がどういう話かわかる。

わざと、「その男爵」と強調した。
これなら、なんだか特別なドキドキする話を想像しやすい。
私の心や肉体を弄ばれる話なのかしら、
その変わった黒人男爵に、などと想像力が働く。
ハーレークイン的な想像だろう。

ところがネトフリ公式では、
「ブリジャートン家」と、「家」を足しただけだ。
これで貴族の姓であることが匂うが、
たったそれだけ。
日本人が「家」で想像することは、
家族の絆か、
逆にドロドロで陰惨な話かの二択で、
その期待とビジュアルが合っていない。

貴族で「家」と来れば、
跡目争いで毒を盛ったり、
暗殺したり、
陰謀で社会的地位を落としたり、
主人公が平民以下に落とされて這い上がったり、
母親が狂ったり、
などを期待してしまう。

それとビジュアルが合っていない。
だから、どんな話か全然分からない。

僕なら、
「ブリジャートン: その男爵とわたし」
とタイトルをつけるか、
「ブリジャートン家」とタイトルをつけたとしても、
「その男爵は、私の心と体を掻き乱した。」
みたいなキャッチをつけると思う。

あくまでこのワンビジュアルの企画性であるところの、
「黒人貴族」という新規アイデアを120%引き出す。
黒人と分かりやすいように、
肌の色を濃くしたほうがいいくらいだ。
ホワイトウォッシュしすぎやで。

当然のことながら、
黒人に期待されるのは肉体の凄さや野生だ。
これは人種差別ではない。
「私の彼は大阪人」と言ったらオモロさを期待される。
明示してないから差別じゃない、
暗示だからセーフ、が今の基準だね。

本来なら「黒人男爵と私」と言いたいところだが、
配慮があって「その男爵」と言っているわけである。

(もちろん、黒人は単なるビジュアル的なヒキに過ぎず、
当の男爵はとても個性的で魅力的なキャラクターかもしれない。
ならばそれをヒキにするべきだ。
今僕はワンビジュアルからしか読み取ってないので)


このへんのニュアンスを読み取らず、
「ブリジャートン家」
という情報量が少なく、
かつ日本人の期待するニュアンスが、
異なるベクトルをつけてしまった、
「言葉を知らない日本担当」は、
クビに値する。


ここまでまだ表紙の話だ。

中身の触りが、全然引かない。

「ロンドン社交界でその名を知られるブリジャートン家の8人きょうだいが、それぞれの愛と幸せを追い求める姿を描く。原作はジュリア・クインのベストセラー小説。」

どこが面白そう?
「Aで、Bたちが、それぞれの幸せを追い求める」
というストーリーの何がおもろいねん。
ストーリーとして当たり前やないか。

「東京大学に入学した8人の男女が、
それぞれの幸せを追い求める」
とどう違うんや。

舞台違い、キャスト違いでしかないから、
「好みの人、舞台でない」と判断して切られてしまうのである。
これが、「松坂桃李主演」と隣り合ってたら、
どうせ似たようなものだから桃李くん見よ、
に負けるわけだ。

このような、
「Aで、Bたちが、それぞれの幸せを追い求める」
は、ストーリーの紹介として、
間違っている。

変形してみよう。
「終戦後のドサクサの殺し合いの世界で、
異母兄弟として生まれた8人の兄弟が、
それぞれの幸せを追い求める」
なら、ちょっと面白そうだ。

なぜなら、「幸せを追い求める」目的に対して、
足を引っ張る「戦後の殺し合い」
「微妙な関係の兄弟」があるからだ。

つまり逆境である。
ストーリーとは逆境の克服だ。
ただ幸せを追い求めるという情報量0に対して、
この場合は「殺し、殺されの無法地帯を生き延びる」
「嫌悪感や喧嘩を乗り越えて絆を育む」
というような面白さがありそうだ、
とベクトルが生じるのである。

ロンドンの社交会がどんなものか示されておらず、
ただの場所情報でしかないからわからない。

「少しでも失敗したら足を引っ張るロンドン社交会で、」
「浮気はいくらでもOKなロンドン社交会で、」
「正妻の座にのし上がる浮気相手たちが蔓延るロンドン社交会で、」
「他人の男を取ったら殺されるロンドン社交会で、」
「浮き名を流すことが名誉とされるロンドン社交会で、」
などを追加するだけで、
色々な方向性のベクトルが想像されるではないか。

(なおどんな話か知らないので適当に書いてます)


ストーリーとはベクトルである。

「嫌らしい男爵が私を狙う」なのか、
「恋した男爵が、白人じゃなくて黒人?」とか、
「黒人と男爵は、最高の組み合わせ!」とか、
そのストーリーに応じて、
いくらでもベクトルは作れるだろうに。

ストーリー紹介とは、
そのメインのベクトルを示すことが目的の文章なのに、
それが機能していない。

だから私たちには、
「X家:
Aで、Bたちが、それぞれの幸せを追い求める」
にしか見えず、
つまりは情報量0の、なくてもいい駄文であるのである。

それが、
知らない外人と松坂桃李だったら、
後者を取るだけのことだ。

面白そうなヒキのあるベクトルと、松坂桃李だったら、
あとで両方見よ、になるだけのことだ。



この宣伝部は、本気で他の作品から客を取ろうと考えているのだろうか?
考え抜いてこれなら、相当能力が低い。
物語というものを徹底的に知らないし、
徹底的に好きじゃないし、
徹底的に人に勧めていない。

本国のスタッフたちは、本気で作っていると思う。
それが、日本担当の宣伝部で台無しになっている。
そこに僕は無能への怒りを感じる。


大元に戻る。

「全世界でヒットしてるネトフリのあるドラマが、
日本だけで見られていない。なぜか?」
というニュースを見た。

コロナでは日本で鬼滅という強いコンテンツがあったしな、
というのがひとつ。

もうひとつは、宣伝部が無能で、
鬼滅に匹敵する(以上の?)魅力を、
タイトルとストーリー紹介で伝えきれなかったことだ。


僕はワンビジュアルと公式サイトからしか情報を得ていないので、
本編のストーリーを知らない。
その「どの面白さを切り取るべきか?」
という仕事のなされてなさを、僕は批判するのみだ。

一言で言えば、
(日本版の)入り口に失敗していることが、
原因である。



昨今の映画ドラマの宣伝部の無能さには、
怒りすら覚える。
本気でそのストーリーの面白さは何かを、
分析してないだろ。
スターと舞台の、AとBの組み合わせしか見てないだろ。
カードの組み合わせゲームかよ。
だからブロッコリーばっかなんだよ。
もうAIで自動化できるわ。

人間の、人間にしかできない、
素晴らしいもの。
それがストーリーというフィクションだというのに。
posted by おおおかとしひこ at 12:22| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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