2021年02月01日

見たい場面を繋げても、ストーリーにはならない

何故シナリオが書けないのか?
何故シナリオの体をなしていないのか?

見たい場面を繋げているからじゃないか?


見たい場面というのは、
大抵願望成就の場面である。

願望成就だけを繋げているから、
それはストーリーにはならないのだ。

じゃあストーリーとはなにか?

その、願望成就に至るまでの、
「経緯」である。

願望を成就していない状態から、
「いかにして」
その達成に至ったかの、
その「いかにして」が、
シナリオの本体だ。

僕は点と線という言葉をよく使うが、
願望成就は点(時間軸上の一点)に過ぎず、
どこから出発して、
どういう経路を辿ったのかという、
長い長い線がシナリオなのだ。

で、シナリオの良し悪しとは、
その線が面白いか否かなのだ。

もちろん、構成要素としての点は、
派手で強い方がいいから、
点は線の要素である。
しかし点がただ強くたって、
そこに至る線が面白くないと、
1の加点と、99の減点になるわけだね。


面白いシナリオとはなにか?
面白いストーリーが書かれたものをいう。

シナリオとは、シーンとト書きとセリフを書いたものではあるが、
それは表面に現れたものに過ぎず、
本当はストーリーを書いている。
デジタル絵が、2^8段階の三色混合のピクセルで、
物体を表現しているのと同じである。
セリフやト書きがシナリオではない。
そこの奥にあるストーリーがシナリオの本体だ。

で、ストーリーとはなんだろう?

事件と解決である。

どういう事件が起きて、
それがどういう経緯を経て、
どういう解決をするのか?
がシナリオの線である。

つまり、面白いストーリーとは、
面白い事件が起きて、
面白い経緯を経て、
見事な解決をすることが必要だ。

ヒキのない事件が起きて、別に興味も持てず、
その経緯もだらだらしてて興味が持てず、
解決も無理があったり淡々としていれば、
面白くないのだ。

なぜ事件と解決に興味を持つのだろう?

ふたつある。

一つ目は、「事件そのものが面白いこと」。
「家の鍵を無くした」はあんまり面白くない。
自分に起きたら大変だけど、
フィクションの世界で起きても全然興味が湧かない。
フィクションの世界では、
「宇宙人が侵略してきてホワイトハウスが爆破される」とか、
「ある家に強盗に入ったがブレーカーを落とされる。
家主は盲目で自由に動ける。強盗たちは暗闇の中恐怖に怯える」
とか、
面白そうな事件がいつも起きている。
これに負けては興味が引けない。
「家の鍵を無くした」事件にしたいなら、
せめて「犬が家の鍵を咥えて走って逃げた」
くらいにしないと面白くない。
「追いかける」という線が発生するからだ。

フィクションとは非日常だ。
日常の中の範囲はつまらない。
全く知らない非日常の世界へ連れていかなければならない。


もうひとつは「感情移入できること」。

このブログではいつも強調しているが、
共感と感情移入を分けて考えている。
共感は、「自分と同じものに良い感情を持つこと」。
自分と同じ年齢や職業、あるあるなどをいいと思うこと。
感情移入は、「自分と遠い存在の人に持つ感情」。
人間は、自分と遠い人にはあまり興味がない。
なんなら無視だ。

ところが、自分と遠い人でも、
上にあげた「ヒキのある事件」が起きた時に、
「自分と似たような反応や行動」を取ると、
「この人は自分とは違うが、その気持ちはわかる」
となる。

宇宙人にホワイトハウスを爆破された時、
人類の誇りを取り戻すためにレジスタンスに参加することや、
最初は甘い気持ちで強盗に入ったのに後悔することや、
鍵を咥えた犬を思わず追いかけることは、
「この人と自分は違う人だけど、
そうしてしまう気持ちはわかる」となるだろう。
このわかりが感情移入である。

共感ベースの脚本だと、
ターゲット層と同じ年齢と職業しか共感できない。
感情移入ベースの脚本だと、
「誰もがそうするだろう」と思える、すべての人が対象になる。
沢山の人を巻き込める脚本の方が、
面白い。

なぜなら、ほとんどの人は平凡な職業だから、
そこに合わせると、平凡な職業のよくある話にしかならないからだ。
平凡な日常がいやだから、
フィクション世界のとんでもない非日常が見たいのだ。
しかし非日常世界は特殊なので、
それだけでは共感できない。
だから、そこに「私はこの人とは違うが、それはわかる」
を入れることで、引き込むのである。

殺し屋や大統領や強盗では我々はない。
だけど、そうだとしても、そのシチュエーションなら、
そう思うよね、わかるわ、同じ人間だものね、
となった瞬間、
他人という垣根が払われて、同じ側になるのだ。
これが感情移入だ。

感情移入を、ディテールの共感だと勘違いすると、
ターゲット層に近いものを出しときゃOKとなる。
それはまちがいだ。
ポケモンが流行るのは、我々がポケモンだからではない。


ということで、面白いストーリーには、

面白い事件、
面白い経緯、
面白い、見事な解決の、線の部分と、
感情移入が必要だ。

感情移入は初手からは難しい。
事件を追ううちに、
「何故その人がその事件を解決したいのか」が徐々に見えてきて、
ああ、そりゃそうだよな、と感情移入できる瞬間まで、
待たないといけない。
その線が見事に出来ているのが、良いシナリオだ。

簡単なのは同情に値する過去をつくり、
そこに共感させることだ。
(たとえば、モテない過去がある→モテたいという動機に感情移入させる)

感情移入には様々なやり方があり、
ここでは語りきれないが、
最終的には、
「この人は私とは違う人生の、交わらない人のはずだが、
まるで自分のようだ」
と強く思わせるものが、いいシナリオである。


また、
面白い経緯は、とびきり難しい。

予想通りに行く展開と、予想を斜め上に裏切る展開の、
二種の混合で翻弄しなければならないからだ。
その混合比はシェフの秘密だ。

また、勝ったり負けたり勝ったり負けたりする、
乱高下する話の方が面白い。
全勝ち全負けは線ではなくただの点だ。
線は直線よりも曲線の方が面白い。

下手な料理人だと、
無理のある展開、
御都合主義、
展開のない展開、
一直線の展開、
などを描きがちで、つまらなくなってゆく。

「いったいこれはどうなるんだ…?」
と毎回身構えてドキドキさせるのが、
いいシナリオだ。

よくジェットコースターに例えられる。
緩急や曲線やクライマックスの度合い、
予想通りと斜め上の配合は、
ストーリーと似ている。



整理しておこう。

いいシナリオは、

面白い事件、面白い展開、見事な解決
非日常
強い感情移入

ダメなシナリオは、

退屈、無理、御都合主義
日常
共感

と、まるでその目指すものが異なる。


ダメなシナリオも、
いいシナリオを目指してそうなったら単なる実力不足だけど、
最近はわざと「日常系で何も起こらないのがいいんですよ」
なんてダメさを開き直るやつがいる。

ほんとの日常系は、バカボンで「今日は省略しないのだ!」
と宣言してずっと座ってときどき鼻くそほじって、
何もないまま終わる実験回の例がある。
もちろん高度な皮肉である。
そんなのすでに70年代で実験されまくっているというのに、
あるいは、ジム・ジャームッシュやゴダールが散々やってたことを知らない、
教養のないやつのいうことに過ぎない。

創作とは「誰もやってないこと」をすることであり、
すでに誰かがやってることの再生産ではない。



ということで、
いつの時代も、
いいシナリオとダメなシナリオには天と地の開きがある。

見たい場面をうまく繋いで、
いいシナリオになるわけがない。
点の有限集合は線にならんのだ。



なんとなく、件のスレを斜め読みして思ったことを書いてみた。
posted by おおおかとしひこ at 11:26| Comment(2) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
件のソシャゲやってるんですが、すごく腑に落ちました
何故ストーリーがここまで面白くないのかよくわかりました、上手く言語に出来なくてモヤモヤしてたので感謝します
Posted by 名無しで叶える物語 at 2021年02月01日 14:29
名無しで叶える物語さんコメントありがとうございます。

ここで脚本論をぐだぐだ書いている理由は、
こうした脚本特有のルールというか専門用語を、
みんな知った方がいいんじゃない?
と思っているからです。
初心を思い出すいい機会になりました。
Posted by おおおかとしひこ at 2021年02月01日 15:02
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