「この」「こう」の指示する内容を、
自分の言葉で噛み砕いている人は、考えている人。
無前提で「わかってるよな」と説明を避ける人は、
自分の頭で考えず、空気に流されている人。
僕は直接話している場合、
「こう」の内容をわざと噛み砕いて聞くことがある。
「このご時世それはちょっと」と言われたら、
人種差別表現の話?
コロナの話?
上級国民の中抜きの話?
などと突っ込んで明らかにすることが多い。
「その全部だね」と言われたら、
「三つ?もっとある?」と、
議論の前提条件を明らかにすることに努める。
そこで出たこと以外は、契約に含まないためだ。
大体、あとから文句をつけてくる奴は後出しだ。
先に多くを想像できていない。
だから、そのために3つ確認しましたよね、
と相手に責任を負わせるために確認する。
ここまで事務的になっているときは、
相当怒っているときだけど。
大体自分の頭で考えてないやつは、
ちゃんと発注もできないし、何がいいか悪いか判断できない。
周囲の空気に流されて作品がぶれまくっていく。
それを事前に察知するためである。
僕が出した具体を「それが」と受けて、
また「それ」で包括するやつは馬鹿だなあと思い、
「それもあるけど、ほかに○○も考えなければならないね」
と返してくる人は、
自分の頭で考えている人だなと信用する。
さて、
これは相手が馬鹿かどうかを測る方法の一つだけど、
あなたは「この時代」をどのように捉えている?
という話をする。
「景気が良く、頑張ればそれだけ夢を得られる時代」
でないことくらいは分かるだろう。
じゃあ、「○○ではない」と補集合で示すのではなく、
「○○な時代」と順接で示してみることだ。
一言で言えなくてもいい。三つくらい羅列されるかもしれない。
三つじゃ足りないかな。10個以上言えるかもね。
それが、あなたの考える「いま」だ。
その今は、どのくらい続くと思う?
それは、どうやったらいい方向に変わると思う?
今何を言ったら、そっちへ世界は動くと思う?
いつ、何を、どう言ったら、世界は動くと思う?
それは、次やる作品で言えること?
それとも別の時期の作品まで待つこと?
それが、テーマの選び方である。
テーマはあなたの主張ではない。
何をどういう風にいうと、
世の中に影響を与えることができるか?
ということだ。
世の中をどう変えたいか?
それにはどのようなテーマが影響を与えるか?
を戦略的に練るべきだ。
もちろんそれは、
多くの人が気づいてはいるが、
言葉にできなかったなにかだと思う。
あなたが先に言語化、物語化する義務があるのだ。
早い者勝ちだろうか?
僕はそうは思わない。
物語におけるテーマは明示ではなく暗示だ。
明示ならばTwitter芸人や教祖に遅れを取ってはならないが、
暗示なので具体的な形を取らず、
ある程度長い期間有効な影響力があるだろう。
むしろ、暗示にすることで普遍性を獲得する。
あなたは、
この時代をどのような時代だと具体的に認識しているか?
そしてそれがどのような具体的なゴールになると、最高なのか?
そのために、どのような具体的な影響を与えると、
実現できるだろう?
すべては具体で考える。
ふわっとした抽象ならバカでもできる。
物語は具体物をもって暗示することだ。
すべては具体的でなければならない。
このご時世とか、こんな時代だから、とかいう奴は信用するな。
そいつは作家じゃない。
2021年02月14日
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