2021年02月06日

【薙刀式】親指シフトはなぜ失敗したか

ついに親指シフトキーボードの販売受付が今日までとなった。

親指シフトはなぜ失敗したか?と、
大上段に構えてみる。
逆に、「親指シフトは成功した」のイメージは、
どのようなものであっただろう?

「メジャーになること」の意味を考えたい。


最善のイメージは、
「誰もが文字入力をするときに、
合理的な親指シフトを使うこと。
普及度No. 1を誇り、
他の入力法など児戯に等しい」
ということだろうか。

セカンドベストは、
「数ある入力法のうち、
わかってる人は親指シフトを使う。
プロが選ぶ確かなやり方」
だろう。

20年くらい前まで、
オアシスから継続して使っている人がたくさんいたときは、
まだそれが言えたかもしれないが、
現在qwertyとフリックに駆逐され、
有名な使い手も亡くなり(勝谷誠彦氏など)、
このフェーズからも転落したと言える。

ということは、親指シフトは「社会的な普及」において、
敗北したのだ。

どうすれば勝てたのかを考えよう。

論点は、標準化だと思う。


親指シフトの当初の戦略は、
標準入力方式のお墨付きをもらうことだったと思われる。
そうすれば官公庁をはじめ、学校教育にも使われ、
「日本人が日本語入力をするのはこの形式」
と定められたものになることが、
ゴールイメージだったのかもしれない。

どういう経緯かはわからないが、
JIS化に落選し(この出来事を詳しく解説したツイートは過去引用した)、
標準入力方式は、qwertyローマ字またはJISカナとなった。
新JISもあったが、実装の失敗(小指シフトって)で廃止だ。
今思えば新JISは親指シフトに譲っとけば状況はマシだったのかもだ。
あとからならいくらでも言えるけど。


この時から、
富士通はセカンドベストの選択肢を取らざるを得なかった。
しかしながら新規顧客は増えず、
市場はゆっくりと蒸発していったにすぎない。

天王山が「標準化への敗北」でしかないところが、
富士通の敗北の原因だと僕は思う。

僕の知る限り、
「色々な入力方式はございますが、
標準入力方式よりもすぐれた入力方式があるんですよ。
そして標準と並列して使えますよ」
という公式のアナウンスを、
耳にした記憶がない。
CMを打ったり、
親指シフト公式Twitterが毎日なにかを呟いているわけでもなさそうだ。

つまり、
親指シフトは標準化を失った時から、
ポジショニングをしなくなった。

「我々はこうである」が言えなくなってしまったことが、
親指シフトとは何かがぼやけてしまったのだ。
知らない人がどう捉えるべきかがわからない以上、
それに参入することはないと思う。
両手を広げていらっしゃいしない所に、人は飛び込まない。

(もちろん、ユーザーの互助会がその役割を果たしていただろうが)


専用キーボードで儲けるビジネスモデルが誤りだったと僕は考える。
物理配列と論理配列を分けて考える、
柔軟性がなかったことが問題だ。

富士通製WinPCに、標準で親指シフトつけときゃよかったのに。
IMEの設定から選べるようにしたり、
常駐ソフトいれときゃよかったのに。
そして毎回毎回チュートリアルを更新して、
その利便性をアピールすればよかったのに。

で、最高に親指シフトをするなら別売り専用キーボードがいいですよ、
という戦略にしなかったのはなぜか、僕にはわからない。

今俯瞰したから言えるのだろうか。
当時の事情はわからない。
儲からない事業に開発費を投入しなかった選択か?

配列というものは公共性が高いのだから儲けではない、
という論法は、富士通内で通らなかったのだろうか?
(GAFAのような、無料インフラを作って、あとで儲ける、
という考え方はなかったのだろうか?)



親指シフトが真に合理的かは、
まだ結論が出ていないこともある。

21世紀に入り、個人開発の新配列がカンブリア爆発のように生まれた。
合理的で速い入力方式はいくつも提案された。
カナ配列の代表作は、
月配列、飛鳥配列、新下駄配列、蜂蜜小梅配列、そして薙刀式、
ローマ字配列ならば、
SKY、きゅうり、けいならべ、カタナ式といったところ。

それぞれにいいところと悪いところがあり、
ベストは決まっていない。
親指シフトはこれらの中に混じった時、
「さすが王者の風格」といえるほどの合理性は持ち合わせていない。

指の頻度はいうほどちゃんとした山になってないし、
小指薬指を使いすぎるし、
指の動線は飛鳥、新下駄、薙刀式より洗練されていない。

もちろん、qwertyやJISカナに比べれば良いが、
それは下を見てるからであって、
上を見れば、
新配列の中では半ば以下の位置ではないか?



僕は、入力方法は車だと思う。

全員がプリウスに乗ることがゴールだろうか?

それぞれがそれぞれの考えで、
好きな車に乗ればいいのではないか?
ただし操作方法の標準化はしておこう。
それは配列ではなくIMEだと思う。

親指シフトの敗北は、
IMEにぶら下がる配列たち、
というモデルを考えられなかったことではないかと僕は考える。

皆が好きな、それぞれ合理的だと思う配列を使い、
しかしそれは日本語IMEを通している、
という風に見れなかったわけだ。
それはJapanist+親指シフト専用キーボードという、
ある種完成されたシステムを最初に作ってしまったことから、
柔軟に抜け出せなかったことが原因だろうか。

完成品を使うワープロと違い、
PCとは、必要に応じてパーツ(論理も物理も)を組む、
可塑性のあるマシンである、
ということに、富士通は気づけなかったのだろうか?

論理パーツ、物理パーツを売り、
ユーザーが好きなように組み合わせることを、
メーカーたちは想像しなかったのだろうか?

お得パックみたいにパッケージングすることで、
既得利益を守ることしか考えていなかったのだろうか?

パーツを組み合わせて組み上げることは、
マニアしかやっていない、狭い世界で、
ほとんどの人はパッケージを買っておしまいだったのだろうか?


90年代くらいから、
「多品種少量生産」ということが言われ始めた記憶がある。
ひとつのものを大量生産して配る、
共産主義は終わったのだ、
という思想が生まれた記憶がある。

Japanist+親指シフト専用キーボードというひとつのパッケージは、
いつまでたっても解体せず、
だからこの流れに乗れなかったのかもしれない。


親指シフトは、
現在「過去の栄光があるが、今たいして通用しないおじいちゃん」
でしかない。
使用者たちが全員死ねばおしまいのものに僕は見える。

親指シフトが新配列より勝るのは、
個人メンテナンスが必要な新配列と異なり、
富士通のサポートがあったことだ。

しかしそんな時代は終わり、
個人でメンテナンスできる人だけが新配列や自作キーボードを使う時代になった。
この大航海時代に、
親指シフトは押し流されていると僕は思う。


入力方式に標準などない。
それは、個人の頭に枷をつけるが如き全体主義である。

鉛筆を使おうが、ペンを使おうが、筆を使おうが、
日本語の文章はどうやって書いてもいいのだ。

その自由を、親指シフトは想像できただろうか?

ここにいいペンありまっせ、
他と比較して下さい、気に入ったらどうぞ使ってね、
と文房具屋のように考えられなかったことが、
親指シフトの敗北の原因だと僕は考えている。

日本の悪い癖は、ハコモノビジネスということだ。
ハコだけ売って、あとは知らんぷりだ。
客はハコの中のコンテンツが欲しいのであり、
ハコなんて関係ないというのに。


もちろん僕は親指シフトの歴史に明るくなく、
最近調べてわかったことしか知らない。
だから的を得ていない可能性はある。

ただ僕が小説を書こうとして、
qwertyでは無理と判断した時の、
次の選択肢として親指シフトをやったときの、
いかんともし難い運指の無理感はいまでも覚えている。
「これが最善とは思えない」がその初心者レベルでの感想だ。

当時、いや、今でも、
言葉では「親指シフト最高」というくせに、
一向に「ほらこんなにスルスル書ける」
という動画が上がってこないのが、
口だけ番長しかいないのではないか、
と僕は考えている。

もちろん、薙刀式が最高とは言えない部分もある。
配列は車だというのはそういうことだ。

だからみんなが、
いろんな車を見て、調べて、検討すればいいと思っている。
その材料が、親指シフトには全然足りていない。

親指シフトはどういう車なのか、
まだ僕はちゃんと見たことがない。

杉田さんや他の人が動画を少し上げているが、
それは個人レベルのドライビング動画でしななくて、
最高性能の親指シフトをぶん回したサーキット動画ではないだろう。
サーキットの限界性能を、
qwertyやJISカナや飛鳥や新下駄や薙刀式はあげている。
サーキットでなくても、高速道路動画くらい上げてみろよ。


僕は、
(たとえ合理性が微妙だとしても)親指シフトや、
qwertyローマ字を使い続ける人を責めはしない。
そういう車に乗っている人、という認識をするだけだ。

文章を書くというゴールは同じでも、
乗る車は色々あっていい。

ただその車がどういうものか、知る手段が欲しい。
「僕は出来ないけど、昔すっごい速い人がいたんだ」
ばっかで、まるで幽霊だ。


最良の状態は、
そのショールームがあり、試乗できることだと思う。
手っ取り早く他の車も乗れて、
比較できることだと思う。
(個人的に「配列図鑑」を作りたいが、
本だと触った感じを伝えられないのでどうしようかなあと二の足を踏んでいる)



親指シフトは最速だからいい→どうもそうじゃないっぽい

昔すごい速い人がいたんだ→現在の基準からしたら遅いのでは?
コピー打鍵900字/10分程度(毎パソの記録)で、
薙刀式の創作打鍵1300(動画を見てね。最高1978)には劣る

楽だからいいんだ→その楽っぽい動画が見当たらない、第一フリックの方が楽では?
立花さんの動画は、ずいぶん打鍵音が鳴っていて、手痛くならないのかなと思った。


この眉唾感を払拭してくれる反論を、僕は求めている。
薙刀式より親指シフトはいいんですよ、でもいいし、
新下駄より親指シフトはいいんですよ、でもいい。
qwertyよりJISカナよりいいのは分ってるし、そうだと思うので、
それ以外との比較を、使っている人の実感として知りたい。

それは個人的主観でいいと思う。
車の好みの話なのだから。
フェラーリがポルシェより好き、デロリアンよりフィアットが好き、
という話と同じでいいと思う。

たとえば僕は薙刀式の「ある」「ない」「する」のアルペジオが大好きで、
親指シフトの「かれ」「だれ」「これ」「けれ」「なれ」の、
運指が気に食わない。日本語のスムーズさに対して指が遅れる。
(それぞれ、【】を右シフト、《》を左シフトとして、
W【T】、【E】【T】、R【T】、F【T】、《D》【T】)
それがスムーズに楽に打てている様が見たい。

こういう小さな話でいいと思う。

車は比較して乗るのが楽しいのだ。
親指シフトも、その光の当たる場所に来て欲しい。



僕は、メジャーになることは、
光の当たる場所で、客観的に検討できることだと思う。
そして、各論並列の状態が健康で、
その中でも多い派閥程度がメジャーだと考える。
100%は、間違いだとすら考える。
posted by おおおかとしひこ at 13:30| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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