2021年02月18日

対義語

色んな対義語を書き出してみよう。


怠惰⇔勤勉
出し抜く⇔オープンにする
白⇔黒
共産主義⇔資本主義
世の中金でなんとかなる⇔金で買えないものがある
スピードが大事⇔確実性が大事
人脈が大事⇔他人に頼らない

なんでもいい。とりあえず適当に書いてみた。
こんなものを100とか、200書き出してみたまえ。
そのうち、
ネガティブなものと、ポジティブなもののペアがあると思う。
それだけを抜き出してみる。

そうすると、ストーリーやテーマのヒントになるという話。


ハッピーエンドのストーリーは、
ネガティブな状態からはじまって、
ポジティブなエンドで終わるものである。

つまり、ネガティブな状態がアンチテーゼ、
ポジティブな状態がテーゼ(テーマ)ということになるわけだ。

最初からそのネガティブな状態に落ち込んでいてもいいし、
ある日突然その状態に放り込まれてもよい。
「金がすべて」という恐ろしい状態になるには、
最初から貧乏な人や借金取りのやくざの話にしてもいいし、
普通の人が何かしらのアクシデントで、
そういう世界に落ち込み、そこから脱出を試みる話にしてもいいということだ。

いずれにせよ、
ネガティブな状態を、
どうやったらポジティブな状態にもっていけるのか?
ということがストーリーである。

あなたは、
面白いシチュエーションや、面白いキャラクターを思いつくと同時に、
「どうやったら、ネガティブからポジティブな状態に、
辿りつけるのか?」
という道筋を考えなくてはならない。

単純に脱出するという話でもいいし、
そのネガティブな場を、
まったくポジティブに変えてしまう、
価値観を変える活躍をさせてもよい。

やり方は問わない。
ただ、無理があったりご都合になっていては良くないだけのことだ。

誰でも納得がいく、妥当なやり方である限り、
ストーリーは成立する。


ストーリーを作るのが下手な人は、
「自分の手に余るもの」を書こうとしていることがほとんどだ。

「そのネガティブをポジティブにするやり方が、
自分で無理なくご都合無く、
きちんと順を追って、なるほどと思うように書けるか?」
ということを自分に問うとよい。

出来ないならたぶん書けないし、
出来るなら書けるだろう。
逆にいうと、
ストーリーを書くのが下手な人は、
自分には書けない題材を選んでいて、
上手い人は書ける題材を選んでいるわけだ。

極端にいうと、
三歳児が、「このクソな世界を平和に変える」
ようなストーリーを書こうとして、
「出来ない。下手だ」と言っているわけだ。


どうやったらこのネガティブを、ポジティブに出来るのか?
という観客の疑問に対して、
経験したことなら書けるだろうし、
あるいは取材して納得いくことがあればそれを書けるだろう。

しかし、そもそも知らないし、書けないことは、
書けないのだ。
多くの詰まらないストーリーが、
ご都合主義やリアリティのない解決法になっているとき、
つまりは作者の限界を超えた話を書こうとしているのに過ぎないのだ。


ところで、
このネガティブな要素を、悪役に持たせ、
ポジティブな要素を主人公に持たせることが、
ハリウッド映画ではよくある。

ざっくりいうと悪役は、
普通の社会では受け入れがたい価値観をもっていて、
主人公がそれと対立して倒すことで、
悪役が死んでスッキリするという構造だ。

悪役が死ぬことよりも、
その受け入れがたい価値観が蔓延することを否定することに、
快感を感じるわけである。

「それは許せない、そしてこっちが正しい」
と、ネガティブな価値観とポジティブな価値観が、
直接対決することで、価値観の代理戦争になっているわけである。

物語がなぜ楽しいかというと、
この構造を持っているからだ。

受け入れがたい価値観を否定して、
受け入れやすい「正しい」価値観が勝利して、
なおかつ、ネガティブな状況が、
妥当で納得のいくやり方でポジティブな状況になるからである。


それがどのようなものであるかは、
あなた次第なのだが、
その、
根底にある対立する価値観を探すのに、
この対義語を延々と書く方法は使えるぞ。


もちろん、単純な、悪⇔正義なんて対義語はつまらない。
今までにない対義語を書き出してみてはどうだろう。

たとえば今、西野の教祖ぶりは面白いから、
これの対義語はなんだろうと考えるわけだ。
なんだったら、これに対抗する価値観や状況になるだろう、
と考えるわけである。

そもそも西野はなぜムカつくのか?
それを一度言葉にしてみると、
対義語もわかりやすくなる。
ねずみ講だから、と仮に言葉にしてみると、

ねずみ講⇔?

という対義語の表になるので、
この「?」に入る何かを書けば、
その対立の話をつくれる可能性があるわけだ。
ねずみ講でなくてもいいよ。意識高い系でもいい。
なんでもいいから言葉にすると、
「その対義語はなんだろう」と考えることが出来る。

それは合っている? 合ってなくてもよい。
対義語になっている感覚があればよくて、
妥当な、ネガティブからポジティブへの転換のストーリーがあれば問題ない。
むしろ、面白くて新しい対義語のストーリーは、
新しい枠組みとして、歓迎される。


どういう対義語が世の中にあるのか?
これまであったものか?
新しい対立か?
それは、
ネガティブからポジティブに至る経路を書けるか?

これらを満たすものを見つけるために、
対義語を沢山書いてみよう。

面白そうな対義語は沢山出てくるけど、
「これなら書けそうだ」というものはなかなか少ない。

前も書いたかもしれないが、
仕事明けに、
何もなくて帰る⇔みんなでビールを飲みに行く
という価値観の対立でもいいんだぜ。
短編ならそれができる。
逆に長編とは、もっと大きな枠組みの対立であることが、
想像できるかと思う。

どういう対義語でもいい。
それを書き下してみて、
「書ける話」を見つけよう。

ストーリーが書けないなんて言っているやつは、
大抵自分にも解決できない問題を書こうとして、
書けなくなっているやつなのだ。
posted by おおおかとしひこ at 01:28| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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