2021年02月22日

おじさんとおばさんの中には少年少女がいる

これは大人になって分かったこと。
ただよくある、
おじさんの中に少年がいて、
おばさんの中に少女がいる、
という話とは逆の話をする。

おじさんの中に少女がいて、
おばさんの中に少年がいる、
という話。


少年少女の終わりは、第二次性徴であろうか。
それまでは、少年も少女も、たいして差はないと思う。

女子の初潮は大抵男子の精通より早いから、
少女が先に終わり、
少年が後に終わる、ラグタイムがある。
(岩井俊二の「打ち上げ花火」(オリジナルのほう)はその時期の、
「女子が先に大人になってしまう」ことを描いた作品だ)

ここらあたりから、
少年と少女は、
いずれ男になる者、
いずれ女になる者として、分けられてゆく。

大人たちの扱いも、
学ぶべきことも、
学ばないことも、変わってゆく。

男子は体を鍛えさせられ、
誰かを守ることを意識させられ、
戦うべきは戦うことを意識させられ、
責任を取るリーダーとしての生き方を期待される。
拒否しても期待される。
「男の器」を期待される。

女子は化粧やおしゃれや、
なんでも言うことを聞くことを期待され、
従うことを期待される。
拒否しても期待される。
「女の愛嬌」を期待される。

本当の自分はそうじゃないから、
そういったことに傷つきながらも、
やっぱり自分は男なのだ、女なのだ、
と自己認識を定着させるまでが、
大人になる儀式かも知れない。


ところで、
少年と少女は、一人の人間の中で同居している。

おじさんだって少女漫画は見たいし、
恋愛のキラキラが好きだし、
ねちねちした噂話が大好きだ。
おばさんだって冒険は好きだし、
バイクやタバコや暴力が好きだろう。

だが、
おじさんは、少女から女になったことがない。
少年から男になったことはある。
それは、少年のときに思っていた甘い幻想を叩き壊されて、
現実にあるシビアな男たちの世界に入っていくということだ。

同様に、おばさんは、少女から女になったが、
少年から男になったわけではない。
(話がややこしくなるのでLGBTQを除き、
簡略化して対立的に話を進めます)

だから、
おじさんの中にいる少女は、
ウブな少女で、
おばさんの中にいる少年は、
ウブな少年だ。

僕が、
BLや女漫画家の少年漫画に感じる違和感の正体は、
たぶんここなのだ。
BLに出てくる少年たちは、
少年から男になった男性ではなく、
第二次性徴前の、分化する前の少年っぽいんだよね。
つまり、男としてのイニシエーションを経てない男。

鬼滅に感じる違和感は多分そこなのだ。
なんかみんな子供っぽくて、
少年から男になったやつがいないんだよ。
柱たちも少年の延長にしか見えていない。

逆もあるだろう。
百合漫画や男が喜ぶレズものは、
おそらく女になるイニシエーションを経ていない少女なのではないか。

男は普通そんなことしない、女は普通そんなことはしない、
というのは、
逆を知らないから実感できてなくて、
自分の中の記憶を投影するしか方法論がないからではないか。


おばさんが少年が好き、
おじさんが少女が好き、
というのは、
自分の中に少女がいて、
自分の中に少年がいるからだと思う。

ロリコンがなくならないのは、
その時期に傷ついたおじさんが多くて、
代償行為をそこでしているからだと僕は考える。
(ショタは分からないのでおいとく)


創作物における異性の少年少女は、
その成長の痛みを経ていない、
いわば純粋培養の少年少女だ。

男が少年を描くならば、
いずれ男になる少年で、その傷つくことを書くだろう。
しかし少女を描くならば、
理想の、分化する前の少女を書いてしまうだろう。

女が少年を描くならば、その逆だと思う。
(たとえば昔「ポーの一族」を読んだとき、
それを強く感じた)


おじさんの中に、分化する前の少女が残っている。
おばさんの中に、分化する前の少年が残っている。

その少年少女たちが、
リアリティの欠けた異性の少年少女物語を、楽しんでいるような気がする。


僕はずっと車田正美の描く少年たちが、
おばさんたちに受ける理由が理解できなかった。

アレは制限付きの少年でしかなく、
そこからどう大人になるかが、
少年の興味だと言うのに、
おばさんに配慮があったのか、
少年は少年のままで生き続ける。
それが生理的に気持ち悪かったんだよね。

成長しない少年は愛でる対象かも知れないが、
少年から男へと成長し続ける過程のやつらには、
興味が湧かないのだ。

成長しない少女は、以下同。

この対称性があることを、
最近やっと言葉に出来たので、ここにメモをしておく。


憧れとしての異性、
同族嫌悪としての同性。
鏡に写したような男女。

この構造がやっとわかった。

鬼滅の刃は、女が読む少年漫画だ。
なぜヒットしたかと言うと、
好きなものにお金を使うのは女性が多いからで、
そこにターゲットを絞ったからである。
(テレビも映画も女性をターゲットにしているのは、
10年以上前からの流れだ。
男はもうテレビから影響を受けないし、映画にも金を使わないのだ)

すぐに泣いて使い物にならない善逸なんか、
男社会ではクビだ。
命がかかってる現場で、寝たら強くなるのなら睡眠薬を打つ。
泣いて許されるのは、男にならない少年少女だけだ。


鬼滅の刃は男が読む少年漫画ではないと、
やっと言語化できたのでメモしておく。
少年が男になる過程が、ことごとく欠けている。


逆に、おじさんの中に少女がいるから、
AKBやアイドルアニメが成立している。
彼女たちは決して女には成長しない。

おそらく、お互いが同性主役のそれを見た時に、
「ぬくぬく暮らしている」という違和感を覚えると思う。
普通もっと傷つき、もっと辛いものを経験して、
一皮剥けるものなのに、それがないぬるさが気になるはずだ。
そりゃそうだ。
成長の痛みのない理想郷を描いているからだ。


どちらも色恋営業だ。
男女のセックス的な色恋営業ではなくて、
心の中にいる分化前の少年少女を狙った、
巧みなタイプのやつだ。


(LGBTQに話を戻すと、
それらは商売になるほどのパイがないから、無視されているだけのことだ。
彼らが好む別の文学は、生まれうると僕は考えている)
posted by おおおかとしひこ at 00:15| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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