これは大人になって分かったこと。
ただよくある、
おじさんの中に少年がいて、
おばさんの中に少女がいる、
という話とは逆の話をする。
おじさんの中に少女がいて、
おばさんの中に少年がいる、
という話。
少年少女の終わりは、第二次性徴であろうか。
それまでは、少年も少女も、たいして差はないと思う。
女子の初潮は大抵男子の精通より早いから、
少女が先に終わり、
少年が後に終わる、ラグタイムがある。
(岩井俊二の「打ち上げ花火」(オリジナルのほう)はその時期の、
「女子が先に大人になってしまう」ことを描いた作品だ)
ここらあたりから、
少年と少女は、
いずれ男になる者、
いずれ女になる者として、分けられてゆく。
大人たちの扱いも、
学ぶべきことも、
学ばないことも、変わってゆく。
男子は体を鍛えさせられ、
誰かを守ることを意識させられ、
戦うべきは戦うことを意識させられ、
責任を取るリーダーとしての生き方を期待される。
拒否しても期待される。
「男の器」を期待される。
女子は化粧やおしゃれや、
なんでも言うことを聞くことを期待され、
従うことを期待される。
拒否しても期待される。
「女の愛嬌」を期待される。
本当の自分はそうじゃないから、
そういったことに傷つきながらも、
やっぱり自分は男なのだ、女なのだ、
と自己認識を定着させるまでが、
大人になる儀式かも知れない。
ところで、
少年と少女は、一人の人間の中で同居している。
おじさんだって少女漫画は見たいし、
恋愛のキラキラが好きだし、
ねちねちした噂話が大好きだ。
おばさんだって冒険は好きだし、
バイクやタバコや暴力が好きだろう。
だが、
おじさんは、少女から女になったことがない。
少年から男になったことはある。
それは、少年のときに思っていた甘い幻想を叩き壊されて、
現実にあるシビアな男たちの世界に入っていくということだ。
同様に、おばさんは、少女から女になったが、
少年から男になったわけではない。
(話がややこしくなるのでLGBTQを除き、
簡略化して対立的に話を進めます)
だから、
おじさんの中にいる少女は、
ウブな少女で、
おばさんの中にいる少年は、
ウブな少年だ。
僕が、
BLや女漫画家の少年漫画に感じる違和感の正体は、
たぶんここなのだ。
BLに出てくる少年たちは、
少年から男になった男性ではなく、
第二次性徴前の、分化する前の少年っぽいんだよね。
つまり、男としてのイニシエーションを経てない男。
鬼滅に感じる違和感は多分そこなのだ。
なんかみんな子供っぽくて、
少年から男になったやつがいないんだよ。
柱たちも少年の延長にしか見えていない。
逆もあるだろう。
百合漫画や男が喜ぶレズものは、
おそらく女になるイニシエーションを経ていない少女なのではないか。
男は普通そんなことしない、女は普通そんなことはしない、
というのは、
逆を知らないから実感できてなくて、
自分の中の記憶を投影するしか方法論がないからではないか。
おばさんが少年が好き、
おじさんが少女が好き、
というのは、
自分の中に少女がいて、
自分の中に少年がいるからだと思う。
ロリコンがなくならないのは、
その時期に傷ついたおじさんが多くて、
代償行為をそこでしているからだと僕は考える。
(ショタは分からないのでおいとく)
創作物における異性の少年少女は、
その成長の痛みを経ていない、
いわば純粋培養の少年少女だ。
男が少年を描くならば、
いずれ男になる少年で、その傷つくことを書くだろう。
しかし少女を描くならば、
理想の、分化する前の少女を書いてしまうだろう。
女が少年を描くならば、その逆だと思う。
(たとえば昔「ポーの一族」を読んだとき、
それを強く感じた)
おじさんの中に、分化する前の少女が残っている。
おばさんの中に、分化する前の少年が残っている。
その少年少女たちが、
リアリティの欠けた異性の少年少女物語を、楽しんでいるような気がする。
僕はずっと車田正美の描く少年たちが、
おばさんたちに受ける理由が理解できなかった。
アレは制限付きの少年でしかなく、
そこからどう大人になるかが、
少年の興味だと言うのに、
おばさんに配慮があったのか、
少年は少年のままで生き続ける。
それが生理的に気持ち悪かったんだよね。
成長しない少年は愛でる対象かも知れないが、
少年から男へと成長し続ける過程のやつらには、
興味が湧かないのだ。
成長しない少女は、以下同。
この対称性があることを、
最近やっと言葉に出来たので、ここにメモをしておく。
憧れとしての異性、
同族嫌悪としての同性。
鏡に写したような男女。
この構造がやっとわかった。
鬼滅の刃は、女が読む少年漫画だ。
なぜヒットしたかと言うと、
好きなものにお金を使うのは女性が多いからで、
そこにターゲットを絞ったからである。
(テレビも映画も女性をターゲットにしているのは、
10年以上前からの流れだ。
男はもうテレビから影響を受けないし、映画にも金を使わないのだ)
すぐに泣いて使い物にならない善逸なんか、
男社会ではクビだ。
命がかかってる現場で、寝たら強くなるのなら睡眠薬を打つ。
泣いて許されるのは、男にならない少年少女だけだ。
鬼滅の刃は男が読む少年漫画ではないと、
やっと言語化できたのでメモしておく。
少年が男になる過程が、ことごとく欠けている。
逆に、おじさんの中に少女がいるから、
AKBやアイドルアニメが成立している。
彼女たちは決して女には成長しない。
おそらく、お互いが同性主役のそれを見た時に、
「ぬくぬく暮らしている」という違和感を覚えると思う。
普通もっと傷つき、もっと辛いものを経験して、
一皮剥けるものなのに、それがないぬるさが気になるはずだ。
そりゃそうだ。
成長の痛みのない理想郷を描いているからだ。
どちらも色恋営業だ。
男女のセックス的な色恋営業ではなくて、
心の中にいる分化前の少年少女を狙った、
巧みなタイプのやつだ。
(LGBTQに話を戻すと、
それらは商売になるほどのパイがないから、無視されているだけのことだ。
彼らが好む別の文学は、生まれうると僕は考えている)
2021年02月22日
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