2021年02月25日

構成を練るとはどういうことだろう

三幕構成理論は、どんな物語でも共通の構成しか語っていない。
30分でセットアップして、
60分で展開して、
30分クライマックスと結末を書け、
ということと、一幕と二幕のお尻に、
次への期待をさせる大きなターニングポイントを書き、
センタークエスチョンを提示せよ、
と、煎じ詰めればこれだけしか言っていない。

それ以外の構成とはどのようなものがあるだろう?


語る順番、はあると思う。

一から順に語る場合もあるし、
ヒキのあるいいところから始めて、
○○日(ヶ月、時間、年)前と一旦戻って起点から語る例もある。
あるいは、
発端の事件を描き、二週間後など時を飛ばしてから、
本題に入る場合もある。

逆に語っていく「メメント」は、
変わった語り順の構成だ。

ループものならば、ラストはファーストシーンになるだろう。

そもそもオープニングとラストで対にして、
その違いでテーマを示すような、
ブックエンドテクニックの変形ではあるが。

二つ、ないし複数の場所をカットバックしながら、
それらが同時進行して絡んでくるやり方もある。
(それらが同時進行してるだろうとミスリードしておき、
全く違う時間軸であった、というどんでんは、
たとえば「君の名は。」がある)

画面分割して、左右でそれらを描くこともある。
(上のフロアと下のフロアとかでは、
断面図で同時進行したりもするね)
壁がなく村全部が見えている特殊舞台は、「ドッグヴィル」だ。

タイムリープものでは、
未来が過去の伏線になってたりとか、
通常の伏線と解消の関係を、
いつもとは違う感覚に出来るので面白い。


どういう順で、どういう風に語ると、
この話は面白く観れるだろうか?
と、あらためて大構成を考えることもおもしろいぞ。
このストーリーは最初から語っているが、
このシーンから始めて戻ってみてはどうか、とか、
一回戻る話になっているが、
順で語ったらどうなるか、とか、
自分のストーリーでやってみるとよい。

カットバックで進行しているなら、
ここにトリックを仕込めないかとか、
カットバックに意味があんまりないから、
ひとつの場所での進行にまとめるとどうなるか、とか。

こうした構成の変更があったとしても、
一幕、二幕、三幕の時間配分や、
第一、第二ターニングポイントは必ず強いものがあるべきだ、
と主張するのが三幕構成理論で、
そりゃそうだよな、と考えると良いと思う。


語る順番は他にもある。

あることを伏せるか伏せないか、
ということで大きく変更できる。

わざとラスト近くまで伏せておき、
それを明かすときに驚きや感慨があるようにする、
というのはよくある手だよね。
(それを期待していたら全然明かされず、
オイ考えてなかったんかい、という主な例がエヴァだ)

ミステリーやサスペンスでは、
これを使ったどんでん返しが華だと思う。
もちろん謎は全てのストーリーの駆動力だ。
謎やその明かし方は、
タイミングや場所を変えることが出来る。
それらを工夫することも、
構成を練るということである。

これらは連鎖を組める。
Aを明かしてBを明かして…などのようにだ。
これらを逆にするとどうなるかとか、
その連鎖順を練ることも、
構成を練ることになる。

これを考える時、
「この事実を○○は現時点で知っている/知らない」
を色々変更させることもできる。

「実は知っていたのだが、ずっと知らないふりをしている、
一般人に紛れたスパイ、犯罪者、裏切り者だったのだ」
なんて展開を作ることはできる。
「それを知らなかったが故に取り返しのつかないことをする」
もある。
ハムレットとかね。
それを、知っていたらどう変わるか、
知らなかったらどう変わるか、
を変更することも、構成を練ることに相当する。

これらで判断、反応、行動がまるで違ってくる。
そうすると意味合いも大きく変更されるからだ。

これと、伏せる/伏せない(意図的に、無意識に)を、
組み合わせるだけで、
ストーリーは大きく構成を変えることが出来るだろう。

で、語る順を変えるだけで、
まったく別物になってしまうと思われる。


つまりストーリーを直接練ることは、
このような語りの変更を調整することだ。


設定の変更もそれに該当する。

人物設定を変える、
過去設定を変える、
関係性を変える、
舞台設定を変える、
などをするだけで別物になる。

むしろ、
今あるストーリーを自然にご都合なく進行するために、
設定を追加したり削除したりすることがある。

設定は、語りよりも優先順位度が低い、
可塑性のあるべきものだと僕は考える。

シリーズものなど、
他人の作った設定を使って書かなければいけないときは、
設定が優先になってしまい、
ストーリーがガチガチにしか進行できなくて、
どんどんつまらなくなっていくものだ。

設定が大事なのではなく、
ストーリーが大事だと言うのに、
キャラが商売になると硬直する。
そうやってコンテンツは死んでいくのだが。


ガチガチの設定は変化を嫌う。
変化しないことは求められることに応えることだが、
飽きられて捨てられる、消費も早い。
そしてストーリーとは変化を描くことだ。

設定に拘るとストーリーは出来ず、
設定をうまく変化させていかないと、
「そんなものは求めてない」になる。

設定をどのように変化させていくのか、
それはどのようなストーリーによってか、
を俯瞰しておかないと、
かなりの確率で失敗する。

設定遵守派と改革派の単なるパワーゲームに陥り、
「このような変化をさせていくべき」
という議論にならないことが、稀によくあるからね。



設定は構成の一部である。

それらを変化させることで、
語り順や全体のラインに影響を与えるだろう。


これらの、
時間的、空間的なものを色々柔軟に変更して、
これがこう変更したら、全体はこうなるだろう、
と予測することが、
構成を練ることである。

つまりは全体的なパズルと、その結論的な意味の関係を、
具体を動かして探ることが、
構成を練ることだ。

実はこれが出来ていないと、
綿密さが足りない、場当たり的なものにしかならない。

完璧に練られた構成というのは、
一部の隙もない、
完全なる工芸品のような美しさがある。

穴があったり破綻がないことは、美しいと僕は思う。


構成を練るのだ。
あれはどうか、これはどうか、
いやこれはこうだからダメ、
これを採用すると良さそうだから次はこうするべきか、
なんてことを延々やった末に、
ようやくベストが見えてくる。

その微視的レベルを練るのはテヅカチャートが便利。
もっと大きな構成は、全体地図を書くことで俯瞰する。
posted by おおおかとしひこ at 00:14| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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