ストーリーというのはこうでなければならない。
一難去ってまた一難でもいい。
ピンチでない場面などない。
ピンチを覆そうとして逆転したとしても、
またピンチになる。
そしてそれを逆転して、
しかしまたピンチに陥る。
ストーリーのメインライン、Aストーリーというのは常にそうだ。
つまり、
基本、
ピンチと逆転のループに、
個人のサブストーリー、Bストーリーが、
メイン登場人物分同時進行する、
というのが大まかなストーリーの構造だ。
三幕構成理論はこれよりも大枠の話で、
第一ターニングポイントと第二ターニングポイントの、
作中もっとも大きなターニングポイントをつくり、
全体を三つのパートに分けなさい、
と言っているに過ぎない。
しかしこれは一番巨視的な構造に過ぎず、
我々が執筆する微視的な構造は、
ピンチ→逆転→またまたピンチ…
のシーソーゲームだということだ。
上りだと思ったら下り、下りだと思ったら上り、
真っ直ぐだと思ったらカーブ、カーブだと思ったら真っ直ぐ、
意表をつき、驚かせ、
しかも期待には応え、
飽きられないようにする。
こうした細かい微視的な構造を作っていく上で、
巨視的には三幕構成になるよ、というだけの話だ。
だから三幕構成だけでは、
このピンチと逆転のループを、
どう構成するかまでは触れられていない。
で、
大体ピンチなのである。
冒頭に事件が起こってから、
事態は常にピンチなのだ。
全てのピンチが収まるのは、
大団円のラストまでないのだ。
つまりは99%ピンチなのだ。
ストーリーを書くということは、
常に目先を変えたピンチが沢山あることを、
創作するということだと言っても良い。
そしてピンチを解決することも同時に必要で、
ピンチ→解決のひとつのセットでストーリーは考える。
で、そうじゃない別のピンチが…と考えるのだ。
これは複雑な構造をつくれる。
ピンチA→解決→ピンチB→解決→ピンチC→解決…
のような、いわば直列構造であるストーリーは殆どない。
子供が見るような分かりやすいものはこうだろうが、
大人の現実はそれほど単純ではない。
大抵の場合、並列になり、錯綜する。
たとえば、
ピンチA→解決し切らないうちにピンチB
→B解決→しかしピンチCが→Aが解決→ピンチD
→CDが同時解決→しかしAは本当には解決していなかった…!
などのように、
色々入り乱れて複雑になるものだ。
主人公と、別で起こっていることをカットバックさせれば、
さらに複雑に組めると思う。
じゃあどういうピンチなら面白いのか?
どういう解決なら面白いのか?
あるピンチの解決を、別のピンチの解決に利用できないか?
(ストーリーラインの交差、伏線化)
たったひとつの冴えたやり方で、
複数のピンチを同時解決できないか?
ピンチばっかりで飽きてくるから、
一瞬の幸福や希望を入れることで、
あとに来るピンチを絶望的に出来ないか?
などを、色々工夫して組むのである。
僕は、ストーリーラインはパズルだと思っている。
最初はワンビジュアルやワンアイデアから始まったとしても、
それでは数秒で終わりである。
複数のビジュアルやアイデアだって、総合しても何十秒だ。
数分、数十分、数時間のストーリーというものは、
ピンチと逆転と、複数のラインで組まれた、
巧妙なパズルであり、
それに酔うことが鑑賞だ。
鑑賞に耐えうるストーリーというのは、
ピンチと解決や逆転が絶妙で、
なるほどそのためにそれがあったのか、
と仕込まれたパズルが絶妙なものをいう。
その最小単位が、
ピンチであると考えるといいかもしれない。
何がピンチ?
どういうピンチ?
小さいピンチ?
大きいピンチ?
ピンチを数多く書き出してみよう。
それらを3つピックアップして、
三題噺のように作ってもいいんだぜ。
そして慣れてきたら、
10のピンチのストーリーを作ったり、
20のピンチのストーリーを作ればいいのさ。
複数のピンチをスタックした状態で、
展開していくことを学ぶことができる。
2021年03月03日
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