たとえば、
「ここでAを選べば身分の保証があり、一生心配せずに暮らせるが、
権力の犬になり、他人を罰し続ける人生。
Bを選べばどうなるか不安しかないが、少なくとも自分の心は自由でいられる人生」
などのようにだ。
一生を賭けた選択をさせる。
そして十年後、Aを選んだ男と、Bを選んだ男が対決する。
それがストーリーというものだ。
人間の性格や人生観や哲学は、
生まれ持った環境や遺伝子のみで決まるのではない。
人生のいろいろな場面で、
選択して来たことでも決まる。
あることで成功体験を積んだ人は、
そのことがイージーで人生の基本だと思うようになるし、
最初にそれを失敗した人は、
失敗しないように取り繕う人生を歩むようになる。
まったく同じ初期値でも、
そうした一つ一つの選択が、
人を形成していく。
だから、
究極の二択を用意するのだ。
両極端がいいよね。
その、どちらかを選んだだけなのに、
その後の人生は180度変わってしまうような、
そういう二択を考えてみるのは面白い。
正義と悪の対峙の場面で、
回想シーンで(あとづけで)語られることが多いかも知れないが、
せっかく映画なのだから、
それを最初の選択から順で描くのも面白いと思うんだよね。
もちろん二者は対比になるから、
それらがコンフリクトで対決するところからが、
ストーリーの本番になるだろう。
対比的な二者は、似ているところもある。
同族嫌悪的なこともあるし、
親しみや理解があることもあるだろう。
そんな「もう一人の自分」との対決は、
人生とはなんだろう、
と考えさせて面白いのである。
究極の二択で思い出すのが、
マトリックスの青い薬と赤い薬のシーンだ。
ネオは赤い薬を飲み、目覚めて救世主となったが、
あの場面で青い薬を飲み、眠り続けることを選んだ男がいたとしよう。
その男はその後どうなったのか。
仮想世界で出世し、逆に仮想世界であることを知っていてそれを利用して、
たとえば大統領になっているかも知れない。
その男がマトリックス世界の代表として、
ネオと対決するバージョンのストーリーを考えることも出来るよね。
ていうか続編の話を聞いて、僕はそれを妄想したわ。
武論尊/池上遼一の「サンクチュアリ」は、
難民キャンプで育った少年二人が、
じゃんけんで決めた運命に従い、
一方は裏社会から日本のトップヤクザに上り詰め、
一方は表社会から日本のトップの政治家に上り詰める、
という対比的な運命と邂逅を描いた大河漫画だった。
あの時じゃんけんの勝敗が逆だったらどうなったか、
なんて妄想がとても捗る、
いい構造の漫画だった。
何かの手違いで赤ん坊を取り違えて、
全く別の運命を歩んだ二人の男が、
という話もよくある。
究極の二択は、そのように人生と絡ませると面白い。
2021年03月04日
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