2021年03月04日

【薙刀式】楽になることの意味

楽になることに越したことはない。
何が楽なのかは色々ある。

・打鍵数が少ないこと
・アクション数が少ないこと
・動線が繋がること
・ホームポジションからなんでも出来ること
・沢山のことを意識に登らせなくてよいこと

などがあるかな。


打鍵数で比較しやすいのは、
薙刀式動画16の、
薙刀式とqwertyローマ字との比較かな。

使用キーボードはキーを押すと約1秒点灯するので、
同時についている光の数が、
おおむね秒あたりの打鍵数になる。

それを見ると、
薙刀式は秒5ぐらいに見える。
大体3-7の範囲に収まってるくらいかな。

これがqwertyだと、
動画では倍速にしてるので比較できないため、
打鍵効率の1.7をかけると、
秒あたり8.5打、
大体5.1-11.9の範囲にして、
ようやく薙刀式と同等の速度になるということ。

これは現実的じゃない。
僕の指の限界は平均秒6行かないと思う。
すごく集中した短時間なら分からなくもないが、
10分20分も秒8.5打打ち続けるのは、
正気じゃないと思う。

3とか4で、精一杯なんじゃないかなあ。
秒12なんて、タイパーじゃないと出ないでしょ。
普通の人に要求できるレベルじゃない。

薙刀式は秒5も出れば、
動画の速度(変換後1200字/10分程度)は出るわけで、
それは、楽だと思うんだよね。


もちろんこれは薙刀式だけではなく、
多くのカナ系新配列に共通の特徴だと思う。

逆にローマ字で秒5打だと、
「ちょっと書くの遅いな」ってなるのでは?

このもどかしさ、
あるいはもっと手を早く動かさないといけないことは、
ローマ字という方式そのものの欠陥だと僕は考える。

カタナ式はローマ字配列の中ではいまでも僕にはベストだけど、
結局「打鍵数がしんどい」という理由でやめたくらいだ。
僕に、打鍵数が気にならない強く早い手があれば、
薙刀式は生まれなかったかもしれない。


特に長文を書くときは、
「消費エネルギー最小」のほうが有利だと思う。
(もちろん平均秒5打くらいとして)

そうでないと一日一万字なんてとても無理だと思う。
qwertyの頃は6000字でへとへとで、
次の日は休まないと無理だった。
それが「一万字くらいならなんとでもなるやろ」
というくらいには、薙刀式は楽になっている。

冒頭にあげたその他の、
・アクション数が少ないこと
・動線が繋がること
・ホームポジションからなんでも出来ること
・沢山のことを意識に登らせなくてよいこと

なんかも効いてくるファクターだ。

でも一番思うのは、
「最小の指の動きでばりばり文が進む」というところかなあ。


どこかで、自転車のギアに喩えている人がいた。

ローマ字は空転が多い軽いギア。
カナ配列はちょっと踏んだだけで進む重いギア。
実際にペダルが重いわけではないので、
(僕は30gと20gにしてるし)
ちょっと踏めばずんずん進む軽いキーを、
僕は手に入れているわけである。


楽になることでどうなる?
思考に割り振れると思うんだよね。
つまり、文章の質が上がる。

逆にいうと、
ローマ字では僕の文章の質は下がる。
プロとして譲れない部分になってくる。
posted by おおおかとしひこ at 15:38| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。