2021年03月09日

【薙刀式】配列の普及には何が必要か

親指シフトがなぜ普及しなかったか考えることで、
じゃあ普及するには何が必要かを逆に考えよう。


僕は、以下のようなことだと思う。

・作者による設計思想の伝達
・公の場での検証、第三者による検証
・第三者の感想(批判も含む)
・練習方法の確立



・作者による設計思想の伝達

「なぜその配列はいいのか?」について、
作者の考えを知れないと納得は出来ないだろう。
これはこのように出来ているのである、
ということに対して、
なるほど便利そうだと思えない限り、
触りもしないと思う。

配列は道具だ。
どのようなことの不具合を、
どのような上手いやり方で便利にした道具なのか、
という説明が大事だろう。

シフト方式はなぜそうしたのか、
なぜこのカナがここにあるのか、
なぜこの機能キーがここにあるのか、
ここになくてあそこにある理由など、
ざっくりしたことから、とても細かいものまで、
整理された雑多があるといいと思う。


作者はメイカーなだけでなく、
評論家でもなければならないと思う。

世の中にはたくさんの配列がある。
qwertyローマ字とJISカナのスタンダードだけでなく、
100や200の配列がある。
それらと比べて、その道具がなぜ優れ、どこが劣っているのか、
正しく評論しなければならない。

フェラーリがなぜ良いのかを語るには、
ポルシェとの違いやプリウスとの違いや、
ハイエースやバスとの違い、
なんなら鉄道や飛行機との違いも語るべきだろう。

正しく評論する、とは、
良いところばかりを列挙するだけでなく、
欠点も正しく指摘することだ。
ただ良いところだけを並べるなんて、
どこの詐欺でも出来る。
詐欺ではなく客観的に良いのだというところを、
等身大に評価することである。

誰もが便利さと欠点はトレードオフだと認めるだろう。
何を我慢すればどんな天国が待っているかを、
正しく示せれば良いだけだ。

そうでない限り、正しい評論とは言えず、
ただの太鼓持ちになってしまう。


勿論作者がそこまで雄弁とは限らないから、
第三者が語ってもいいのだ。
僕がたまに他の配列について言及しているのは、
そうした助け舟を出しているつもり。


・公の場での検証、第三者による検証

どんなに言葉を尽くしても、やれなければ意味がない。
空手が強いというならば、誰かを倒すことで証明するしかない。
もっとも、
最強を目指して化け物揃いのタイパーの大会に出る必要はない。
配列と個人の才能を分離できなければ意味がないからだ。
miriさんやmullerさんが速いだけで、
qwertyやJISが最速の証明にはなっていない。

もっとも簡単な検証は、動画を撮影することだと僕は考える。

簡単だぞ?
机の上にタブレットを寝かせてエディタを大きいフォントにして、
手と同時に撮影すればいいんだ。
本を両脇に重ねて長細い板を渡し、その上にiPhoneを置いて撮影ボタンを押すだけさ。
角度が合わないなら適当なものを挟んで調整するだけ。
多少の編集ならiPhone上でも出来るから、
プリロール(本番前)とポストロール(打鍵終了から停止ボタンを押すまで)は、
カットすれば良い。
あとはiPhoneからでもYouTubeにあげられるぜ。

ていうか、緊急事態宣言以降の薙刀式動画は、
ほとんどそうやって自宅撮影している。
AfterEffectsで色んなエフェクト入れてるけど、
そんなもんなくたって、
一番みんなが知りたいのは、
「どうやって実際に打っていて、
それがどれくらい説明に合致してるのか」
だと思う。

「ごたくはいいからやってみろ」に一番答えやすいのは、
動画だと思うよ。

速いというなら速さを見せれば良いし、
楽なら楽さを見せればいいだけのこと。
1分や2分じゃだめだ。偶然できた奇跡の一枚の可能性がある。
10分以上の普段の姿が見れれば、
それで説得できると思う。


勿論、出来る人は大会に出て証明してもいい。

あるいは、
ヒートマップや打鍵効率などの数値的調査をすることも、
第三者的な検証になると思う。
しかし所詮は数値上のスペックに過ぎなくて、
「実際どうか」は、見てみるまでわからんけどね。

月配列はスペックはいいし、タイプウェルでは速いかも知れないが、
タイプウェルのを打つのに有利なだけかも知れない。

「日本語を書くための配列としての有効性」は、
「自分の言葉で日本語を書くこと」でしか示せないと思う。



・第三者の感想(批判も含む)

作者一人が吠えてても、説得力は少しだ。
他の人がこう思う、という自由な議論はとても大事。

とくに「手の感覚」「思考の感覚」というのは、
百人いれば百人違う可能性がある。
僕はこう思うからお前もそうしろというのは傲慢で、
「こういう人はこういうのが向く」
「向き不向きがある」
ことを前提にして議論するべきだ。

客観的指標だって、「どの客観指標に重きをおいて議論するか」で、
主観が入るからね。
結局、「私はこのような人で、このように思う」
と、自分と紐づいて語ることしか出来ない。

しかしそれらの議論が増えれば増えるほど、
大数の法則が働いて、
個人差の偏差が打ち消し合い、
配列の平均的な姿が見えてくると、
僕は考えている。

もちろん批判も大事で、
諸手をあげる正解などないのが前提でいいと思う。
むしろ批判を封じたり、話を横滑りさせる詭弁の方が害悪だ。



・練習方法の確立

どんなに優れた道具でも、プラグインプレイが出来るものとは限らない。
日本刀はすぐに人を斬れるが、
相手が日本刀を持ってた場合、何年もの修練の末にしか使えない。

どんな文章が来てもだいたいうまく使えるための、
練習方法が確立されているべきだ。

薙刀式のマニュアルは、
親指シフトの練習方法や、あすかのためになどを参考しにした。
しかし単純に指に記憶させる方法だけでなく、
薙刀式の構造や仕組みの解説ごと理解できる形にしてある。

車の運転免許が、ただ操作系を覚えるだけでなく、
エンジンの仕組みを理解させるような、
そういう感じにしたかったのだ。



親指シフトは、
作者の解説は貧弱で、
公の場での検証は30年以上も前の水準で、
すごいというほどでもない動画しかなく、
スペック上の調査もそれほど優秀ではない。
練習方法にはマニュアルがある。

普及の努力を怠った配列である、
と批判されて当然だろう。

親指シフトはなぜ普及しなかったか?
普及させることを誰もしてなかったからだ。

そこにそれがあるだけで人が群がり、使う道具などない。
ただでさえブラインドタッチは習得に手間がかかる。
その手間に見合うリターンを示すことが、
配列普及の鍵だと思う。
posted by おおおかとしひこ at 15:03| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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