数学なんて社会で使わないよなという大人は、
バカか、バカでも出来る仕事についている。
(せいぜいお釣りの計算か経理、というやつは、
数学を算数(四則演算)と混同している)
算数から数学になったときに初めてやる、
素因数分解を例に話そうか。
「問題の要素分析」の根本的な考え方は、
素因数分解で鍛えるのだ。
社会にはさまざまな問題がある。
仕事とはそれを解決することだ。
昨今中抜きといって、
問題を与えられたら、解決できる優秀な人を買ってくる
(そして仲介料や管理料と称してピンハネする)、
読書感想文代行業を買ってくるみたいなやり方があるが、
バカのやることである。
賢い大人なら自力解決できるし、
そもそもその解決にお金が支払われる。
バカの中間層は基本無駄である。
さて、
問題を解決するためには、
それがどのような問題であるのか、
把握しなければならない。
まず、その問題がどのような範囲を扱うかを考える。
女性向けの商品なら、女性限定で考える。
しかし実際は、それが男の目に晒されたときのことも想定する。
範囲とは、想定範囲のことでもある。
車のブレーキが効かなくなったとしたら、
いつまで効いてて、いつ頃効かなくなったかを調べる。
それが交換時期を過ぎてたら部品の劣化が原因だと推定して、
ブレーキを交換すればたいてい解決だろう。
そして未来永劫交換する必要はないわけではないので、
○ヶ月後あるいは○年後チェックしてください、
と効果の範囲を限定することになるだろう。
ある解決が、時代が変われば通用しないこともある。
親指シフトは80年代の解決だが、
現代では薙刀式の方がより解決である。
問題の範囲と、解決の範囲を決めなければならない。
さて、ここまできたら、問題を要素に分解する。
これはどのような要素が絡み合った問題なのか?
ということを特定していくわけだ。
このとき、独立要素と従属要素がある。
男と女は独立要素だ。間はない(最近はある)。
従属要素は、雨が降れば傘が売れるなどのように、
相関の深いものをいう。
雨と傘は独立していないわけだ。
問題は、独立した要素がいくつあり、
それらがどう絡んでいるかを特定することで、
要素に分解できる。
雨と傘はどっちか影響の強い方を独立要素にすればよい。
で、それらの独立要素をどう動かしたら、
問題はどう変化するのか?を調べるのだ。
ブレーキが故障しているのは、
交換時期を過ぎたからである、
などのように特定できる要素もあるし、
男が増えたら解決するが、
女が増えたらややこしくなる、
みたいな傾向があるだけかもしれない。
勿論、それらの独立要素に一定の方程式が見つかることもあれば、
これが増えたらこうなるっぽい、
しかしこの要素も増えるし、
逆にこれがあるとこれが阻害されるっぽい、
などの傾向だけがわかることもある。
これらの知見をもとに、
「問題は、これらの要素がこのように絡み合っていて、
どうやらこうした法則があるようだ」
と分析して、
「したがって、問題の解決には以下のようなことをすると良いだろう。
1. ○○○(100%解決、ただしコスト○○○)
2. ○○○(75%程度の解決だが、コストがかからない、ただし○○○の悪化がある)
3. ...」
のように解決策を立てていくわけだ。
そしてどれを決断するかを決めていく。
問題の分析に、素因数分解の考え方がだいじなのは、
「問題は要素の掛け合わせである」ということと、
「それらは独立した要素に分解できる」ということだ。
100=2×2×5×5
で考えよう。
100という問題は、独立した要素2と5に分解され、
2が2個、5が5個ある、という構造をしている。
100を50にしたいなら、2を一個減らすのがベストだし、
次善策として、5を一個減らして20に減らす手もある。
5を4に出来れば、80ということにもできるよ、
さあご決断を、ということなのだ。
もし素因数分解がなければ、
100を100のままでしか扱えず、
中身の分解ができず、困った困ったと言い続けるだけだろう。
「問題は独立した要素に分解できる(できたとき操作できる)」
「要素の足し引きをすると、問題を変形できる」
という根本的な考え方、操作する体験を積むために、
素因数分解はあるのだ。
逆にいうと、社会の問題は、
素因数分解できたら解決できる。
完全な素因数分解でなくても、
ある程度の因果関係である程度解決できる(医学など)。
社会の進歩とは、ある問題が解決したということである。
多項式の因数分解を考えよう。
x^2+5x+6=(x+2)(x+3)
を例にすると、
左の問題は、右の独立した二つの要素の掛け合わせである、
ということをやっているわけだ。
あとは、(x+2)を操作して何倍かすれば、
左の問題は何倍かになるし、
(x+3)を何倍かしても良いわけだ。
車を加速したいなら、エンジンパワーを上げてもいいし、
車体を軽くしてもいいわけである。
現実の問題は、数学のようにきれいに割り切れないことが多い。
(例: 経済、人の心、人間関係)
しかし割り切れるものもある。
(例: 人間が工作したものすべて。建築、メカ、料理、ネットやPC、科学技術)
数学は、このうち割り切れるものを扱い、
せめて割り切れるものはキッチリ詰めておこうということを練習するためにある。
空手の型通りには実戦はいかないが、
ある場面のシミュレーションでは空手が有効な場面があり、
それが型のことである、
という理屈である。
(空手に限らず、軍事訓練やすべての訓練はこの形式だ)
素因数分解を理解してない、
バカな大人は以下のような行動をする。
・問題は解ける可能性があるかを検討しない
・問題の構造を調べたり把握しない
・丸投げして責任をおっかぶせる
・問題の解決に参加しない
・問題の解決を評価できず、「誰が偉いか」で判断する
・解決をブラックボックス化して、信仰するかしないかで判断する
・従属要素を独立要素と誤解する
・独立要素を従属要素と誤解する
などだろうか。
ワクチンに対するバカな大人の反応を見ていると、
典型的な素因数分解のできないやつらの反応だ。
あるいは、
仕事をし始めれば、
世の中にこんなやつらがもりもりいることに気づく。
僕は中高進学校からいい大学へいったので、
周囲の偏差値は60から70(理系)ばかりで、
バカの存在に気づくのにだいぶかかった。
なるほど、素因数分解が自分でできないやつは、
上のような行動原理を取るのか、
ということがわかってきた。
このようなやつを黙らせるのは簡単で、
素因数分解の解で勝負するのではなく(理解できないので無駄)、
こちらが権威をまとえばゲームエンドである。
逆に向こうに花を持たせる、営業のやり方もある。
素因数分解について話をしてきたやつだけが、
話す価値のあるホンモノだ。
(世の中には素因数分解の話をするふりをして、
知性があるように見せながら、バカを騙して権威をまとう擬知性もいる。
西野やホリエモンがその典型)
さて、あなたは数学がなんのためにあるかわかるか?
知性のためである。
数学をなんのために勉強するのかわからないやつは、
もともと知性がないか、
知性のある教師に教わっていないのだ。
Twitterが知性のないやつを可視化するメディアになるとは、
誰も予想しなかったことだ。
ざっくりいうと、
世界は二つにわけられる。
数学を理解してる人と、理解してない人にだ。
「いや、私も奥まで理解してるわけではないですが」という人は、
数学を理解してる人で、
「使わんから必要ないだろ」という人は、
理解してない人だ。
さて、脚本論に戻そうか。
これらの対立を描くと、相当面白いと思うよ。
2021年03月10日
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