2021年03月15日

【風魔】ザシャアに挫折した話

車田漫画実写化という難問の、最初に立ちはだかったのは、
ザシャアだ。
車田漫画といえばザシャアだ(異論あり)。
これを実写でいかに再現するか。
結論で言うと、できなかった。なんでだろうか。


効果音自体は再現できた。
スライディングするような音。
2秒くらいの砂を擦るような音をベースに、
頭に低め強めのアタックを重ねれば、
それっぽくなる。

ただこれ、使い所がなかったんだよね。

「立っているカット」に、ただ重ねても、
車田漫画のような登場感にはならなかった。
実写の効果音は、
「アクションに当てる」のが基本である。
動きもしないのに音が鳴るのは変なんだよね。
一歩踏み出す所に当てると、
「いやそんなにキミスライディングしてへんやん」
という違和感の方が強くなる。
カット変わりに当てると、
なんだか事故のようだ。

どこにも動いてる部分がないのに、
物凄く動いてる音が当たるのは変なのだ。

映像の記号だと、
動いてない絵に動いてる音が当たるのは、
「今目には見えていないが、
画面外に動いているものがいる」
というような意味になる。
「小次郎は立っているが、画面外からスライディングしつつ近づいている奴がいる」
みたいなことになる。

ちなみにその音は1話の殺人スパイクスライディングに使った。
グチャって音の方を立ててあるけど、よく聞くとわかるかも。


実写の文法に乗らない、このザシャアの正体はなんなのだろう?
逆に原作を読解せざるを得ない。

ザシャアが使われるのは、
前のシーンが終わり、
シーンが変わった時の第一カットである。
誰かが正面を見て立っていて、そこに使われる。

意味合いとしては、
「ここに到着した/登場」なのだと僕は考えていた。
一歩踏み出した音なのか、
走ってきて/歩いてきて止まった音なのか、という所だろう。

だが歩きや走りの動きはない。
立ち止まった動きもない。
常に正面カッコつけ登場ポーズのみだ。

ちなみに、後ろ姿や、足のアップ、
あるいは走ってきて急停止のような絵にザシャアと描いてみても、
なんだか違和感がある。

つまり車田漫画のザシャアは、
正面カッコつけポーズにのみ存在する。

すなわち、ポーズと音が一致していないのだ。

これは、オノマトペのうち、
擬音語ではなく擬態語である。
実際の音素は関係がないのだ。


実写において、このような表現はほとんどない。

わかりやすいのは歌舞伎における拍子木だ。
誰か千両役者が舞台に登場した時、
チョンと鳴ると「待ってました」と掛け声がかかる。
あのチョンだ。
あの音で「火の用心をしている」と思う人はいない。
場面転換、登場に当てられた記号的な音だということは、
文化的に皆理解している。

(外国人はどう思うんだろうね。お囃子を横でしている人がいる、
みたいに見えるんだろうか)

拍子木による場面転換は、
和物アニメでたまに使われる。
押井守は鈴のシャン、が好きだよね。

和物のこうした記号は、
文化的に相性が良い。

なので、ドラマ版では、
場面転換や大事なニュアンスを示すときに、
和太鼓(を変形させた音)の、
ドン、を多用した。

これは分かる、というのが手持ちでこれしかなかったので。

今思えば拍子木はあり得たかも、と思う。
尺八はやりすぎだろうな。

こういった、
「絵と関係ない音を流す」ものを、
実写ではMEという。
MusicEffectの略。
「鳴り物」なんて言い方もある。

「鳴り物付きで登場」なんてこともある。
典型的なのはパンパカパーンやドラムロームか。
ドラ、シャキーン、ジャラーン、などもあるよね。
楽器隊はここにいないのに鳴るのだ。
登場音楽を流すキャラクターもいる。
電波少年ではTプロデューサーの登場時は、
ダースベイダーのテーマが流れていた。
あれがMEだ。
長い登場MEの例は、プロレスの入場テーマ曲だ。
あるいは、高校野球の入場行進曲もか。

つまり、ザシャアはMEだったのだ。

ザン、みたいな音に多少変更して、
場面転換に当てていれば、
MEとして多用できたかも知れないなあと、
今では思う。

ドン、は理解できたからね。



そもそもそれを色々試して、
絵に合わないから諦めよう、
と決断したのは、
2話のバックスクリーン裏、風魔一族登場の、
竜魔が片手で受け止めたホームランボールを床に落とし、
「風魔一族」と名乗り、一族が扇形に現れるカットだ。
この動きとスライディング系の音が合わない。
合わなくてもやるべきか、
などと高次元のことを考えていたため、
死ぬほど繰り返し見ていたにも関わらず、
麗羅の柱激突は見逃されていたのだね…


実写の演出は、
日本の場合、おおもとは歌舞伎の影響を受けていて、
これがハリウッドやヨーロッパのリアリズムにない、
独特の漫符的な表現を産んでいる。
拍子木が鳴るのは火の用心ではなく場面転換や登場である、
と理解できるのは、文化的な記号だからだ。

漫画的な場面転換は他にもあって、
「夜になったよ」と街並みが映されると、
たいてい犬が遠吠えするんだよね。
そんなに犬は遠吠えしないんだけど、
これも漫符的な表現だ。
朝チュンも、そんなにスズメが鳴くこともなかったりするんだけどね。
歌舞伎→時代劇→アニメと、
記号的音の表現は、継承されている。


ここまで先に理解していれば、
ザシャアはMEでやればいい、
と分かっていたはずなのに。

MEは音楽屋さんのジャンルで、
SE(効果音)のスタッフとは別なんだよね。
僕はSEの人にザシャアを頼んでしまった。
そうじゃない、MEの人に頼まなきゃいけなかったんだ。

難しい。
あの怒涛のスケジュールで、その余裕はなかったなあ。
二期をやるなら、ザシャアはマジで考えたいのだ。


このようなことを書いたのも、
> その昔「風魔の小次郎」が実写ドラマになるととある現場で若いスタントの方から聞き『ザシャアは?!ザシャア!はやるの?!』と尋ねたけど20代前半の若者には ザシャア が全く通じなかった(そらそうだ
なんてツイートを見かけたからで。

頑張って作ったんですが、だめでした、
と言う話をしてみようかなと思ったのだ。

その副作用で、柱激突事件という珍事が生まれたんだけどね。



車田漫画といえば?

ザシャア(挫折)
黒い筆で書いたような必殺技吹き出し(漫画的すぎてやめた)
渦巻く車田バック(CGじゃ無理でした。亜空間みたいになっちゃう)
繊細で美しいカケアミや豪胆な線(絵的な魅力)

これらのどれも実写では成功していない。
アニメ版を見たときにこれがないことに不満を覚えたのだが、
そもそも白黒漫画でしか出来ないことなのかも知れない。

車田落ちは白虎が頑張ってやってくれたし、
「まさかあの伝説の…」「これは幻覚か?」
「鳩が豆鉄砲を食ったような」「どサンピン」「なにい」
目が十字に光る、ドン、ピキイイイン、
過剰な目のハイライト(ライティングの工夫)、
ベタフラッシュ(麗羅が覇皇剣くらうところ)、
白黒反転、コピペによる幻覚表現(陽炎分身)、目がハート、
くらいまではなんとか再現できたが、
まだまだ車田漫画の実写化で、
できることはあると思うのだ。

セーラー服の胸の谷間エロもやりたかったが、
そういう女優を選んでなかったことに気づく現場。
役柄と肉体はなかなか一致しない。
posted by おおおかとしひこ at 09:53| Comment(0) | 実写版「風魔の小次郎」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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