パナソニックのマッサージチェアについてたボタンで、
「ここもっと」というのがあって笑った記憶がある。
なるほど、そうやって指示するのか、と。
リライトをするとき、
観客として、「ここもっと」「ここいらない」
という感覚を持つことはとても大事だ。
もっと見たいところを、最大に伸ばすのはよくある。
しかしお腹いっぱいになって飽きられてはいけないので、
その分量は計算しておこう。
意図的に「ここもっと」と飢餓状態をつくることだって、
立派な計算だ。
逆に「ここいらない」はなるべくカットしていく。
説明がどうしても必要なときもあるが、
それがそこでないといけないという理由は、
ひょっとしたら希薄かもしれない。
なので他に移動するとかで解消するかもしれないことを検討しておく。
イメージでいうと、
濃い所をもっと濃くして、薄いところはもっと薄くしていく感覚。
良いところはもっと書こう。
悪いところはなるべく削ろう。
「どういうコントラストが一番いいのか」
を事前にイメージして、
リライトの仕上がりをそこへもっていくのだ。
得意でたくさん書いてしまい、鼻につくところがあるかもしれない。
得意なところだけど、謙遜しすぎてフルパワー出していないところがあるかもしれない。
苦手なところだけど良く書けていて、もっと見たいと思うところがあるかもしれない。
苦手だけど思うより書けていたと勘違いした、たいして面白くないパートがあるかもしれない。
全ては、客観的に自分の作品が見えているかでしかない。
作り手の都合などどうでもいい。
面白いか面白くないかだ。
どうしてもその面白さに必要なシーンだけどつまらないなら、
もっと面白く変形できないか考える。
変形できないなら、削ることを考える。
もっと欲しいところがあれば、
どれくらいまでお腹いっぱいにならない程度に欲しいか考える。
それは、自分が一番ぜいたくな観客であれ、
ということだ。
客観的に見ることはとても難しい。
しかし自分が一番ぜいたくでわがままな客なら、
「そこもっと」「ここいらない」を指示するはずだ。
その感覚を大事にしよう。
それが比較的保てるのは、
だいぶ時間をあけてから再読する、
一発目だけだ。
色んな都合をわすれていて、
一番好き勝手言えるからね。
ひさしぶりにこれを見た。
いやあ、良く書けているが、
そこもっと、ここいらないがある。
そういうことが、
作品の完成度を上げ、夢中を続けさせる力になるのだ。
どこで興味が途切れる、退屈するのか。
どこで夢中になっているのか。
情熱と冷静は常に同時進行である。
2021年03月19日
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