差別的? いや、現実に違いがある以上それを詰めて考える。
男の笑いは、現実を壊すときにおこる。
女の笑いは、現実を追認するときにおこる。
もちろん全てではない。
共通の部分もあるだろう。
しかし今は、互いに理解できない領域の話をしている。
男は女の笑いを面白いと思っていなくて、
女は男の笑いを面白いと思っていないという話。
僕は女漫画家のギャグシーンがとても苦手なのだ。
多くの少年漫画が好きな男子が、
女作家のギャグシーンを飛ばすほど嫌っているのは、
なんでだろうと思って、いろいろ考えて、
この結論にたどり着いた。
女の笑いって、
現状が安心とか、カワイイとかのときにおこる。
カワイイというのは、
「自分より下の者に、保護的に起こる感情」
とあえて定義することにしよう。
猫や犬、あるいは子供の失敗や成功、
あるいは大人の中に子供のかわいさを見つけたときに、
女は笑う。
かわいいーって笑うんだよね。
笑いは「敵意のない安心な世界」
の時に起こるのではないか?
それはいわゆる母性本能かもしれず、
これを男は理解しないと思う。
いっぽう男の笑いは、
現実を破壊するときに起こる。
これまでの常識をいかに覆すかで起こる。
破壊本能に基づいているとすら言ってもいいかもしれない。
男が笑うのは、
「世界がこれで変わるぞ」のときだと思う。
これまでの先入観を覆されて新たな世界の可能性をみたとき、
男は楽しくなってくる。
女の笑いは追認や共感の笑い、
男の笑いは革命の笑い、
とでも言おうか。
男は世界を変えたいのに、
女は世界を維持したい。
ざっくりいうとその違いがあると僕は感じている。
だから女作家の少年漫画のギャグは笑えない。
感性が違うのだ。
職場の男たちの冗談が、
不快だとして女たちにモラハラとか言われる。
感性が違うのだ。
個人による感性の違い以上に、
性(生得的なものもあるだろうし、文化的なものもあるだろう)
による違い、断絶が大きいと最近思う。
女を笑わせたかったら、
現実を破壊して楽しむのではなく、
現状を追認するようなものを探せ。
男を笑わせたかったら、
現実を振り返らず、
新しい現実を探せ。
具体的には、
前者は知っている人の噂話、知っている人の新しい面、
後者は知らないものの話、常識に反する話をするとよい。
たとえばコンビニのアイスボックスに入ってツイッターに挙げたやつは、
全員男だった。
かれらは本気で「現実を壊した笑い」だと思っていて、
面白いと思っているし、受けると思ったからやったのだ。
未熟ながら「きちんとしなければいけない」という場を、
いかに反権力するかということは本来爽快だ。
しかし女は世界を壊されたから、笑わずに不謹慎と騒ぐのだ。
ものすごく原始的な見方をすると、
権力(今ある世界に影響を与えるもの)に対して、
ふたつのアプローチがある。
既得権力を潰して自分が新しい権力になるか、
既得権力に取り入って自分が権力の片腕になるか。
男は前者が好きな人が多く、
女は後者が好きな人が多いと思う。
だから男は世界を壊して笑う。
女は世界が安心だから笑う。
もちろん、極論で偏見の可能性がある。
だが、笑える/笑えないの境界線が、
なぜ異なるのかを考えるときの材料になりそうだ。
不倫を女が極端に嫌うのは、
安定した家庭世界を壊されるからだろう。
男は壊すことに快感なんだがね。
昔から「他人の嫁」は一番のご馳走というではないか。
逆に男が不快なのは、「同じ作業に縛られること」だね。
もちろん、逆の感性の男女もいる。
統計的に多いか少ないかの話である。
2021年03月29日
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