2021年03月29日

男の笑いと女の笑いの違い

差別的? いや、現実に違いがある以上それを詰めて考える。


男の笑いは、現実を壊すときにおこる。
女の笑いは、現実を追認するときにおこる。

もちろん全てではない。
共通の部分もあるだろう。
しかし今は、互いに理解できない領域の話をしている。
男は女の笑いを面白いと思っていなくて、
女は男の笑いを面白いと思っていないという話。

僕は女漫画家のギャグシーンがとても苦手なのだ。
多くの少年漫画が好きな男子が、
女作家のギャグシーンを飛ばすほど嫌っているのは、
なんでだろうと思って、いろいろ考えて、
この結論にたどり着いた。


女の笑いって、
現状が安心とか、カワイイとかのときにおこる。
カワイイというのは、
「自分より下の者に、保護的に起こる感情」
とあえて定義することにしよう。

猫や犬、あるいは子供の失敗や成功、
あるいは大人の中に子供のかわいさを見つけたときに、
女は笑う。
かわいいーって笑うんだよね。

笑いは「敵意のない安心な世界」
の時に起こるのではないか?

それはいわゆる母性本能かもしれず、
これを男は理解しないと思う。


いっぽう男の笑いは、
現実を破壊するときに起こる。
これまでの常識をいかに覆すかで起こる。
破壊本能に基づいているとすら言ってもいいかもしれない。

男が笑うのは、
「世界がこれで変わるぞ」のときだと思う。
これまでの先入観を覆されて新たな世界の可能性をみたとき、
男は楽しくなってくる。


女の笑いは追認や共感の笑い、
男の笑いは革命の笑い、
とでも言おうか。

男は世界を変えたいのに、
女は世界を維持したい。
ざっくりいうとその違いがあると僕は感じている。


だから女作家の少年漫画のギャグは笑えない。
感性が違うのだ。
職場の男たちの冗談が、
不快だとして女たちにモラハラとか言われる。
感性が違うのだ。
個人による感性の違い以上に、
性(生得的なものもあるだろうし、文化的なものもあるだろう)
による違い、断絶が大きいと最近思う。


女を笑わせたかったら、
現実を破壊して楽しむのではなく、
現状を追認するようなものを探せ。
男を笑わせたかったら、
現実を振り返らず、
新しい現実を探せ。

具体的には、
前者は知っている人の噂話、知っている人の新しい面、
後者は知らないものの話、常識に反する話をするとよい。

たとえばコンビニのアイスボックスに入ってツイッターに挙げたやつは、
全員男だった。
かれらは本気で「現実を壊した笑い」だと思っていて、
面白いと思っているし、受けると思ったからやったのだ。
未熟ながら「きちんとしなければいけない」という場を、
いかに反権力するかということは本来爽快だ。

しかし女は世界を壊されたから、笑わずに不謹慎と騒ぐのだ。


ものすごく原始的な見方をすると、
権力(今ある世界に影響を与えるもの)に対して、
ふたつのアプローチがある。
既得権力を潰して自分が新しい権力になるか、
既得権力に取り入って自分が権力の片腕になるか。
男は前者が好きな人が多く、
女は後者が好きな人が多いと思う。

だから男は世界を壊して笑う。
女は世界が安心だから笑う。


もちろん、極論で偏見の可能性がある。

だが、笑える/笑えないの境界線が、
なぜ異なるのかを考えるときの材料になりそうだ。

不倫を女が極端に嫌うのは、
安定した家庭世界を壊されるからだろう。
男は壊すことに快感なんだがね。
昔から「他人の嫁」は一番のご馳走というではないか。
逆に男が不快なのは、「同じ作業に縛られること」だね。

もちろん、逆の感性の男女もいる。
統計的に多いか少ないかの話である。
posted by おおおかとしひこ at 01:02| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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