親指シフトを追悼して、
「合理的だけど流行らなかった」という意見がちらほらと。
流行るわけないじゃない。
習得するのがめんどくさいんだもん。
イニシャルコストと合理性の話。
車の運転には免許がいる。
車の操作自体は親指シフトより簡単だと思うが、
合宿したりテキストが豊富であることで、
マスターするための方法論は確立している。
車にまつわる色々なことを、
さらの素人からマスターすることは、
とてもめんどくさい。
しかし結果の合理性をわかっているため、
みんな我慢して勉強して、
実地トレーニングをするわけだ。
合理性を感じない人、
たとえば僕のような、
「東京で車に乗ることは合理的でない」
と感じる人は、
わざわざめんどくさいことをしてまで免許を取らない。
結局はコストとリターンだ。
リターンの期待出来ないところへ人はコストを払わない。
金が出るってわかればゴーウエストするのである。
親指シフトはJISカナに比べて、
ブラインドタッチで合理的だ。
qwertyローマ字と比べてどうだろう。
どっこいくらいかな。
しかし運用する労力においてはざっくり半分。
そのリターンを親指シフトはプレゼンできなかった。
「指が喋る」と、コンパクトでいいキャッチフレーズにしたものの、
それにどのような合理性があるのか、
説明しきれなかったと僕は思う。
親指シフトコンソーシアムはお粗末すぎる。
誰か更新しろや。阿部寛のホームページかよ。
「わかる人は使ってる」というスタンスなのかも知れないが、
どこかで「わかる」瞬間が必要で、
その根拠が、
「文筆家や作家や記者が使っていて、
コンテストにも優勝した」では弱いと思うんだよね。
みんな、
作家になったりコンテストに優勝したいわけじゃない。
スペックの高さはある程度わかっても、
コストが見積もれないなら尻込みするのは当然だろう。
親指シフトが普及しなかったのは、
そのコストをうまくプレゼンできず、
そのリターンもうまくプレゼン出来なかったからだ。
人は見えない暗闇に中々手を突っ込まない。
突っ込むのは冒険者だけで、
それは流行るとはいえないわけだ。
見えないコストとリターンよりも、
「26(カナの数の半分)の位置さえ覚えれば打てる、
最悪見てもなんとかなる」
「英語と共用できる(ほんとは嘘なんだが)」
プレゼンのほうが、
見通しが立ちやすかったのだ。
これよりクリアに、
親指シフトのコストとリターンを示せなかったことが、
親指シフトの敗因だと僕は思う。
フリックがqwertyを駆逐しつつあるのは、
その手軽さゆえだろう。
どうせサイトメソッド(日本人の7割)なんだから、
規則配置で稼働範囲が少ない方へ流れるに決まってる。
意外とブラインドタッチできるし。
「水は低きに流れる」、
つまりエネルギー最小を目指すのである。
カナ配列は原理的にイニシャルコストは高い。
ローマ字よりも覚えることが多い。
(キーの配置とシフト方式という一次的要素、
連接という二次要素、三次要素…幾何級数的である)
そもそもブラインドタッチはコストが高いが、
そのリターンは誰でもわかる。
手元を見ずに画面を操作し続けることは、
ものを使う上での基本でありたい。
(運転免許は、車のブラインドタッチを学ぶ方法である)
リターンがわかりやすければ、
あとは一念発起するだけのこと。
一念発起する人は人口比で一定数いて、
それが3割くらいなのかも知れない。
カナ配列が流行るためには、
リターンが分かりやすく見えることと、
コストが見積もれることだと思う。
誰でも動画を撮ってYouTubeにあげられるこの時代、
親指シフトはついに打鍵動画をあげなかった。
有志はいくつかあげているのに、
「うおーはええぞこれ!」
というのはついになかった。
じゃあ911陰謀論と同じで、「あやしい」「未確認」
でしかないわけだ。
物的証拠がないものを人は信頼しない。
親指シフトは、
「合理的だけど流行らなかった」のではない。
「合理的だという噂しかなかったので、
信用されず、
流行らなかった」だけだ。
結局は、
「こいつは良さそうだ」という信用と、
「これくらいのコストを払えばいいのだな」
という見積もりがわかればいいだけだと思う。
僕は薙刀式を大流行させる野望はとくにないけど、
こんなに使いやすくて便利な配列は、
みんなやればいいのにとは思っている。
もちろん最高の配列かどうかは保留する
(最高を決める基準がなく、人によって相性も異なるため)。
そこで二の足を踏む人もいるだろう。
でもそのコストとリターンはいつもクリアにしていきたいと思っている。
キリスト教みたいなもんか。
教会は24時間空いてるみたいなことだ。
動画の説得力は文章より上だ。
百聞は一見にしかずで、
薙刀式への信用は、ぽつぽつ上げてる動画を見て醸成されていると思う。
(月750〜1000回くらい見られている)
「競技タイパーほど物凄くないが、
少なくとも普通に文章を書くのに苦ではなさそう」
「奇跡の一回じゃなくて、常用で信用できそう」
が物的証拠として示せればいいと思うんだよね。
合理的なものが流行るとは限らない。
信用されたものが流行ると僕は思っている。
そして殆どの人は、
信用するしないを決められるだけの審美眼を持ってない。
(だから有名人のオススメを盲信したりする)
百聞は一見にしかずを出しながら、
どこをどう見ればいいのかを解説していく、
啓蒙が必要だと思っている。
2021年03月23日
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