2021年03月23日

【薙刀式】流行るものは合理的とは限らない

親指シフトを追悼して、
「合理的だけど流行らなかった」という意見がちらほらと。
流行るわけないじゃない。
習得するのがめんどくさいんだもん。

イニシャルコストと合理性の話。


車の運転には免許がいる。
車の操作自体は親指シフトより簡単だと思うが、
合宿したりテキストが豊富であることで、
マスターするための方法論は確立している。

車にまつわる色々なことを、
さらの素人からマスターすることは、
とてもめんどくさい。
しかし結果の合理性をわかっているため、
みんな我慢して勉強して、
実地トレーニングをするわけだ。

合理性を感じない人、
たとえば僕のような、
「東京で車に乗ることは合理的でない」
と感じる人は、
わざわざめんどくさいことをしてまで免許を取らない。

結局はコストとリターンだ。
リターンの期待出来ないところへ人はコストを払わない。

金が出るってわかればゴーウエストするのである。


親指シフトはJISカナに比べて、
ブラインドタッチで合理的だ。
qwertyローマ字と比べてどうだろう。
どっこいくらいかな。
しかし運用する労力においてはざっくり半分。

そのリターンを親指シフトはプレゼンできなかった。
「指が喋る」と、コンパクトでいいキャッチフレーズにしたものの、
それにどのような合理性があるのか、
説明しきれなかったと僕は思う。

親指シフトコンソーシアムはお粗末すぎる。
誰か更新しろや。阿部寛のホームページかよ。


「わかる人は使ってる」というスタンスなのかも知れないが、
どこかで「わかる」瞬間が必要で、
その根拠が、
「文筆家や作家や記者が使っていて、
コンテストにも優勝した」では弱いと思うんだよね。
みんな、
作家になったりコンテストに優勝したいわけじゃない。

スペックの高さはある程度わかっても、
コストが見積もれないなら尻込みするのは当然だろう。


親指シフトが普及しなかったのは、
そのコストをうまくプレゼンできず、
そのリターンもうまくプレゼン出来なかったからだ。

人は見えない暗闇に中々手を突っ込まない。
突っ込むのは冒険者だけで、
それは流行るとはいえないわけだ。

見えないコストとリターンよりも、
「26(カナの数の半分)の位置さえ覚えれば打てる、
最悪見てもなんとかなる」
「英語と共用できる(ほんとは嘘なんだが)」
プレゼンのほうが、
見通しが立ちやすかったのだ。

これよりクリアに、
親指シフトのコストとリターンを示せなかったことが、
親指シフトの敗因だと僕は思う。


フリックがqwertyを駆逐しつつあるのは、
その手軽さゆえだろう。
どうせサイトメソッド(日本人の7割)なんだから、
規則配置で稼働範囲が少ない方へ流れるに決まってる。
意外とブラインドタッチできるし。
「水は低きに流れる」、
つまりエネルギー最小を目指すのである。

カナ配列は原理的にイニシャルコストは高い。
ローマ字よりも覚えることが多い。
(キーの配置とシフト方式という一次的要素、
連接という二次要素、三次要素…幾何級数的である)

そもそもブラインドタッチはコストが高いが、
そのリターンは誰でもわかる。
手元を見ずに画面を操作し続けることは、
ものを使う上での基本でありたい。
(運転免許は、車のブラインドタッチを学ぶ方法である)

リターンがわかりやすければ、
あとは一念発起するだけのこと。

一念発起する人は人口比で一定数いて、
それが3割くらいなのかも知れない。


カナ配列が流行るためには、
リターンが分かりやすく見えることと、
コストが見積もれることだと思う。

誰でも動画を撮ってYouTubeにあげられるこの時代、
親指シフトはついに打鍵動画をあげなかった。
有志はいくつかあげているのに、
「うおーはええぞこれ!」
というのはついになかった。
じゃあ911陰謀論と同じで、「あやしい」「未確認」
でしかないわけだ。
物的証拠がないものを人は信頼しない。


親指シフトは、
「合理的だけど流行らなかった」のではない。
「合理的だという噂しかなかったので、
信用されず、
流行らなかった」だけだ。

結局は、
「こいつは良さそうだ」という信用と、
「これくらいのコストを払えばいいのだな」
という見積もりがわかればいいだけだと思う。


僕は薙刀式を大流行させる野望はとくにないけど、
こんなに使いやすくて便利な配列は、
みんなやればいいのにとは思っている。

もちろん最高の配列かどうかは保留する
(最高を決める基準がなく、人によって相性も異なるため)。
そこで二の足を踏む人もいるだろう。

でもそのコストとリターンはいつもクリアにしていきたいと思っている。

キリスト教みたいなもんか。
教会は24時間空いてるみたいなことだ。

動画の説得力は文章より上だ。
百聞は一見にしかずで、
薙刀式への信用は、ぽつぽつ上げてる動画を見て醸成されていると思う。
(月750〜1000回くらい見られている)
「競技タイパーほど物凄くないが、
少なくとも普通に文章を書くのに苦ではなさそう」
「奇跡の一回じゃなくて、常用で信用できそう」
が物的証拠として示せればいいと思うんだよね。



合理的なものが流行るとは限らない。
信用されたものが流行ると僕は思っている。

そして殆どの人は、
信用するしないを決められるだけの審美眼を持ってない。
(だから有名人のオススメを盲信したりする)
百聞は一見にしかずを出しながら、
どこをどう見ればいいのかを解説していく、
啓蒙が必要だと思っている。
posted by おおおかとしひこ at 08:52| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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