2021年03月31日

「おもしろい」は知的興奮のときもいう

ストーリーがおもしろいのと、
知的興奮でおもしろいと思うのは違う。

でも感想はどっちも「おもしろい」だから、
分離するのが大変難しい。


最近聞いておもしろいと思ったのは、
「ゲーマーは遅延しないモニタが必要で、
1Fを争う格闘ゲームなどでは、
遅延が最も少ないアナログブラウン管テレビを使う」
というやつ。

HDMIケーブルを介してDA変換して、
などをやってる間に6Fぐらい遅れるのはよくある。

映像の編集作業がデジタル化されたとき、
絵に対してモニタの音が遅延する現象がよくあり、
「ブラウン管時代はこんなわずらわしさはないのに」
という嘆きは未だにオッサンはよく言う。

プロの現場ではどうしてるかというと、
絵と音のシンクロが取れてる信号を、
ミキサーで都度切り替えて出力している。
エディターの見ているモニタ(マスモニ)、
クライアントモニタ、コピー作業用のモニタなどは、
すべて結線されてるがシンクロは取れないので、
そのモニタ内でシンクロが取れているように、
手動ミキサーで都度切り替えているだけだ。
ブラウン管時代ならアナログ結線で遅延0(1Fより下の精度)で、
前モニタが一斉動作したのだが。

これに関しては技術的退化で、
僕はこれに毎度イライラしている。


それを、1F精度を追い求めるゲーマーが、
ブラウン管に立ち戻っていると聞いて、
おもしろいなあ、よくわかってんなあ、
と感じたのだ。

これはまさに知的な興奮である。
どこにも物語はない。
問題と解決はあるから物語的にはなっているが、
間の展開がないから、それほど物語として膨らませられるものではない。

つまり、この話は線ではなく点である。


知的興奮は、点に好奇心やおもしろさを見出すことである。

「あたらしい世界、知らない世界を知りたい」
というのは人間の根本的な欲望で、
それを満たす知識を、人はおもしろいと思うように出来ていると思う。

だから、
レア物の職業ものなんかは、
知らない世界の常識を知る楽しさがあるわけだ。


先日北海道ロケにまた行ってきたのだが、
「北海道の人はマフラーをしない」
(邪魔だから)
という習慣の話を聞いて、へえっと思った。

マフラーごときでカバーできるような寒さではないし、
首元は上着ごとカバーできるタイプを着込み、
それ一枚さえ脱げばあったかい部屋に入って部屋着になれるようにするそうだ。
たしかにその方が合理的だなあと思える。
東京では外と部屋の温度差が微妙で、電車の中とかあるから、
微調整しやすいマフラーを皆するのだろう。

こうした豆知識も知的興奮のひとつだ。

いまある常識を覆されて、
まったく違う常識の世界の一端を知る時、
人はへえっと思い、
おもしろさを感じるのだろう。


取材はこのようにするべきである。
あなたが知らなくて「へえっ」と思ったことは、
全部メモをしていく。
それは、その特殊な世界以外の人は皆知らないことで、
ほとんどの人が「へえっ」って思うことだからである。

以前ドローンの出始めに取材したときも、
ドローンは左右方向と前後方向の傾きセンサーがついてて、
それを水平にするように、
4つのローターの回転数を自動制御する、
回転数を変えることで左右方向と前後方向の傾きを制御するので、
4つのローターが必要、
と言う話をきいて、
同じく「へえっ」と思った。


こういうことをひとつずつメモして、
作品内に生かすことは、
「おもしろい」を増やすことである。

しかしそれは、
世界の構築には寄与するものの、
物語の面白さとは異なるものである。

つまり知的興奮とは、世界設定のことである。

その世界があたらしく、
別の常識に支配されている知的興奮は、
舞台設定に他ならないのだ。



もっとも、
ストーリーに寄与する設定に使うことも可能だろう。

北海道に東京から転校してきたイケメンがマフラーをずっとつけてて、
女の子にそのマフラーをかけてあげてキュンとするかと思いきや、
その子は習慣にないので邪魔だと思うとか。
で、そのマフラーがのちのちの伏線になるとかだ。

こうして何かを象徴するアイテム
(この場合二人の意思疎通の齟齬の象徴)
として、あたらしい世界の設定を使うことは、
「その世界でしか成立しないストーリー」
のネタにすることが可能になるわけだ。


あたらしい世界のネタ探しとは、
そのようにするべきだ。

へえっと思う面白さをさがすこと。
そこだけに終わらず、
それをストーリーに利用すること。

知的興奮がどんなに面白くても、点止まりで、
ただの蘊蓄大会にすぎない。
線に利用して、はじめてストーリーになりえる。

しかし「二人に齟齬があり、その後仲直りする」
というストーリーが面白くない限り、
「マフラーは良かったがストーリーはつまらない」
になり、
マフラーの面白さは生かされない。

マフラーが面白いのではなく、
ストーリーが面白くない限り、
根本的な解決にはならないことを、
肝に銘じておくべきだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:53| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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