2021年03月31日

映画を早送りで見る人たち

かわいそうな人だと思った。
ほんとに面白いのを見たことがないし、
見たことがあるとしても、
見分け方が事前に分からないんだろうね。

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/2007191.html


おそらく、それだけハズレが転がってて、
流行っているものも本当の当たりではなくて、
内容はハズレだけど、
話題を合わせる為にチェックするだけのものなのだろう。

俺だって鬼滅のアニメ早送り行けるなら全部みとこか、
って思うもの。
エヴァのTV版もオンエア以来もう一回見るために、
早送りなら見とくか、くらいには思う。


あるいは、
「自分は当たりだと本気で思っているが、
ネットを見たら評判が悪くて、
自分が間違ってるのではないかとビクビクする」
若者が多いのかもと思う。

何故か現代は、
ものすごく細かいことでひとつ間違えるだけで、
村から永久追放される時代になってしまった。

「お前ら全員がそうだと言っても、俺は違うと思う」
と言いづらくなった。

自信がないやつが群をなし、
その群と違う色を見つけたら、
即いじめることで、自分への矛先をそらす社会になった。

角を立たせたり、お騒がせしただけで謝罪しなければならなくなった。

物議を醸すことは、
よりよいアウフヘーベンの為の議論の時間だから、
人類の進歩に大事な瞬間なのだが、
もめごとを避けて、決まらない結論のままいることが耐えられなく、
空気に従うことで生き延び、息を殺す社会となった。

だから、
ハズレを掴みたくなくて、
当たりだけを掴みたくて、
実は本当の当たりを味わいたいのではなく、
群れがいいと言っているものについていくためだけの、
自衛策としてチェックの必要があるだけなのだ。

キョロ充ってここまでを含む言葉だっけ。
よくわからんがそういうことだ。


膨大な時間を使って、
あれがいいこれがだめだと、
朝まで飲んだくれることを、
何年もしないと、
本当のところはわからない。

僕の映画の見方が全て正しいとも言えないし、
僕の映画の見方が全て間違ってるとも言えない。


当たりがハズレか分からないものを楽しむことが、
映画を楽しむことなのだ。


速読が出来るなら、早送り視聴は可能だろう。

でも速読って、
内容覚えてないんだってさ。
長期記憶に残らないし、
部分の記憶しか残らない。

たとえば頭から尻まで、
一冊かけてある定理を証明しようとする数学の本とかは、
速読は無理らしい。

それを理解する時間こそが、それと生きる時間だ。


映画と生きてないんだよ、彼らは。
たぶん、空気と生きてるんだ。
posted by おおおかとしひこ at 02:12| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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