本当はそんなことを思っていたのか。
それを知るシーンは物語の大きなターニングポイントになる。
隠されていた過去を暴くこともこれに含まれる。
しかし実際のところは、
「今どう思っているか」が大事かも知れない。
それは、ポジティブなことと、ネガティブなことに分けられるかな。
実は好きでした、
実はこれをプレゼントしようと思っていた、
誰にも言わずに助けていた、
実はたくさんの準備を一人でやっていた、
嬉しくてしょうがないのに恥ずかしくて隠してた、
本当は大嫌いだった、
あなたを殺そうとしていた、
笑顔の裏では貶めていたり破壊工作をしていた、
嘘をついていた、
本当は辛かった、
知らないのに知ってるふりをしていた、
知ってるのに知らないふりをしていた
などなどだろうか。
これは一種のどんでん返しだ。
こうだと思っていた現実が、
その人の思いを知ることで、
実は全く違ったものだったのだ、
と180度変わってしまうことがある。
思いを知るにはどういう表現がいいだろう。
その人の本当の思いを暴露しているシーンを、
偶然見かけるのか。
その人のメモなり行動履歴などを知ってしまい、
理解するのか。
誰かの証言から、ほんとうはそうじゃないかも、と疑惑を持つのか。
僕は、音によるもの(セリフ)よりも、
物的証拠(絵によるもの)が強いと思う。
動かぬ証拠、というやつだ。
セリフはいくらでも嘘をつけるからね。
そして、それを知った人はどうするのだろう。
それを確かめに本人と会うのか。
気づかないふりをして、今度はこっちが逆襲するのか。
行動を決めなければならない。
行動を決める原因になるという意味で、
知る場面はターニングポイントになるわけだ。
知らないふりをすることに耐えられなくなり、
いつか爆発するかも知れない。
それはそれでドラマになり得る。
「今目に見えていることが、
その見た目通りの意味ではないこと」こそが、
ドラマの種である。
誤解、嘘、騙し、サプライズ、
いい意味でも悪い意味でも、
見た目と意味を変えていくと、
そのずれを修正しようとする力が、
ドラマを発生させる。
もし何か足りないなと思ったら、
「ほんとうはこの人はこんなことを考えている」と、
見た目と本心をずらそう。
そしてそれを知る場面をつくると、
それからの行動が変わるぞ。
2021年04月03日
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