実は薙刀式を使っていて、
「うっひょー!超楽ー!毎日毎日快適だー!」
なんて思わないんだよね。
それが当たり前になると、普通にスルスルと書いていくだけ。
自分にとってのペン、日常使いそのものになる。
ところがたまにqwertyローマ字で文章を書かないといけなくなると、
「はぁ!?こんなめんどくさいの無理ッ!」
って切れることになる。
この差が薙刀式の有効成分なんだなあと実感する。
スーファミからファミコンに戻った時とか、
HDデジタル録画からVHSに戻ったときとか、
美味い飯屋に慣れて、昔通ったまずい飯屋に行った時とか、
似たような感覚を覚えると思う。
世界が進化すると、
それが当たり前になり、
インフラになり、
そこに立つ前提でしかなくなる。
かつてのものがどれだけ不便で、
もう元に戻るとイライラしてしょうがないのは、
なかなか気づかないものだ。
スマホからガラケーに戻れるかな。
エアコンありからなしに戻れるかな。
車から馬に戻れるかな。
そんな感じ。
それが当たり前になると、
こんどはそれにまた不満が出てくる。
「これはこのように改良できないか」などのように。
そうして人類は進歩してきたんだろうな。
どんなに幸福を得ても、
美人は三日で慣れて、
不満をたらたら言うように出来ているのかも知れない。
薙刀式はとても便利だが、
それがある日常は当たり前すぎて、
今度は別のものに不満が出てくる。
僕の場合は物理キーボード(主にキーキャップとスイッチ)だ。
それは、すでに薙刀式がこれ以上改良できない、
局所最適状態になってることを知ってるからで、
薙刀式にどこかしら不満があって、
自分なりにもっと改良してる人もいてもいいと思っている。
たぶんこうして、バベルの塔以降の人類の言葉は、
どんどんローカライズされていったのだろう。
しかしqwertyの使いづらさよ。
検索くらいなら我慢するけど、
仮にこの文章を書けと言われたら断るな。
普段履いてる靴の、3倍重いものを使わないといけない感じ。
せめてフリックにさせろよ、って感じだ。
フリックなら席につかずに寝っ転がりながらだらだら出来て、
人類の最大に楽な入力は、配列ではなく寝っ転がりながらの方だ、
も言えるかも知れない。
在宅が増えて、フリックで仕事の文章を書き、
クラウドにあげてPCで処理、みたいな人も増えたのでは?
と想像する。
それでもなおqwertyが速くて合理的とはまったく思えない。
たまにあぐらかいてコンパクト一体型キーボードで薙刀式を打つけど、
両手を使うのが面倒で、
指一本のフリックを選択しがち。
薙刀式+キーボードセッティング+PC立ち上げと、
フリック+スマホ持ち上げの、
手間の差もあるよね。
これまでPC+机と椅子前提で考えられてきた新配列は、
そうじゃない場面に負けるかも知れないわけだね。
一旦楽を手に入れても、
最高ーってならないよね。
人類が飛行機を手に入れても、毎日極楽というわけではなくて、
空港に行くのが面倒とか、プラマイは出てくるものだ。
でも一回飛行機に乗ってしまうと、
新幹線や車移動はとても疲れて、出来ればやりたくないようになってしまう。
僕は、出来れば一生qwertyで打ちたくない。
打ちたくないだけの理由で、会社のインストール禁止のMacを触りたくないくらい。
(しばらく出社してないので触ってないけど)
先日ネット喫茶でUSB挿して薙刀式を使おうと思ったら、
MS-IMEのバージョンが上がってて、「前のバージョンのIMEにする」が、
ユーザー側から設定を変えられないネット喫茶仕様になってて、
qwertyしか使えずすぐに出たことがあった。
qwertyを使って長文を書くくらいなら、
今僕はフリックでやるかもしれない。
それくらい、僕にとってqwertyは「自分の言葉を書くことができない」
ツールである。
その牢獄に三日間強制収容されて、
はい今日から薙刀式使っていいですよ、
ってなったら、「うっひょー!極楽ゥー!」ってなるかも知れないね。
「今日から自由の身だァーッ!」ってなるだろう。
で、三日も経てばそのことはすっかり忘れて、
日常の一部でしかなくなるだろうが。
そういえば昔ガラケーのトグル入力で、
よく長文書いてたよな。1000字くらいは書いてた気がする。
JPhoneが2000字までメールを書けたけど、
その限界までよく書いてたわ。
そこからしたらフリックは極楽なのだが、
今は移動中の日常でしかないよなあ。
楽に対する、人間の慣れは恐ろしい。
速度を鍛えて速くなることだけが新配列の目的だったら、
もっと速度追求でみんな燃えていたのかもしれないが、
楽が目的になると、
誰も楽の話をしなくなる。
新下駄で楽々極楽、飛鳥でだらだら書くの最高、
なんて話がとんと聞こえてこないのも、
楽なので特筆して書くことがない、
みたいな無意識化に成功したのだと思われる。
作者的には、
「薙刀式を毎日使ってますが、
こんなに楽に使える配列はないです!
数ヶ月で慣れて今ではこんなに快適!」
なんて情報を知りたいんだけど、
観測されないのは慣れて日常になったのだろうと想像する。
(でも辞めてしまった人もいるはずで、
その差がこちらから全く見えないので不安になるんだよね)
そういうときは、
qwertyで半日暮らしてみるといい。
いかに自分が恵まれていたか初めて知った、
みたいな金持ちのボンボンの気分になれるぜ。
その差分について記述してみると面白いかも知れない。
(追記: 小川謙三さんが快適とネタツイートしてくれました。笑)
2021年04月02日
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