2021年04月02日

【薙刀式】楽は慣れる

実は薙刀式を使っていて、
「うっひょー!超楽ー!毎日毎日快適だー!」
なんて思わないんだよね。
それが当たり前になると、普通にスルスルと書いていくだけ。
自分にとってのペン、日常使いそのものになる。

ところがたまにqwertyローマ字で文章を書かないといけなくなると、
「はぁ!?こんなめんどくさいの無理ッ!」
って切れることになる。

この差が薙刀式の有効成分なんだなあと実感する。


スーファミからファミコンに戻った時とか、
HDデジタル録画からVHSに戻ったときとか、
美味い飯屋に慣れて、昔通ったまずい飯屋に行った時とか、
似たような感覚を覚えると思う。

世界が進化すると、
それが当たり前になり、
インフラになり、
そこに立つ前提でしかなくなる。

かつてのものがどれだけ不便で、
もう元に戻るとイライラしてしょうがないのは、
なかなか気づかないものだ。

スマホからガラケーに戻れるかな。
エアコンありからなしに戻れるかな。
車から馬に戻れるかな。

そんな感じ。

それが当たり前になると、
こんどはそれにまた不満が出てくる。
「これはこのように改良できないか」などのように。
そうして人類は進歩してきたんだろうな。
どんなに幸福を得ても、
美人は三日で慣れて、
不満をたらたら言うように出来ているのかも知れない。


薙刀式はとても便利だが、
それがある日常は当たり前すぎて、
今度は別のものに不満が出てくる。
僕の場合は物理キーボード(主にキーキャップとスイッチ)だ。
それは、すでに薙刀式がこれ以上改良できない、
局所最適状態になってることを知ってるからで、
薙刀式にどこかしら不満があって、
自分なりにもっと改良してる人もいてもいいと思っている。

たぶんこうして、バベルの塔以降の人類の言葉は、
どんどんローカライズされていったのだろう。


しかしqwertyの使いづらさよ。
検索くらいなら我慢するけど、
仮にこの文章を書けと言われたら断るな。
普段履いてる靴の、3倍重いものを使わないといけない感じ。
せめてフリックにさせろよ、って感じだ。

フリックなら席につかずに寝っ転がりながらだらだら出来て、
人類の最大に楽な入力は、配列ではなく寝っ転がりながらの方だ、
も言えるかも知れない。

在宅が増えて、フリックで仕事の文章を書き、
クラウドにあげてPCで処理、みたいな人も増えたのでは?
と想像する。

それでもなおqwertyが速くて合理的とはまったく思えない。


たまにあぐらかいてコンパクト一体型キーボードで薙刀式を打つけど、
両手を使うのが面倒で、
指一本のフリックを選択しがち。

薙刀式+キーボードセッティング+PC立ち上げと、
フリック+スマホ持ち上げの、
手間の差もあるよね。

これまでPC+机と椅子前提で考えられてきた新配列は、
そうじゃない場面に負けるかも知れないわけだね。


一旦楽を手に入れても、
最高ーってならないよね。
人類が飛行機を手に入れても、毎日極楽というわけではなくて、
空港に行くのが面倒とか、プラマイは出てくるものだ。
でも一回飛行機に乗ってしまうと、
新幹線や車移動はとても疲れて、出来ればやりたくないようになってしまう。

僕は、出来れば一生qwertyで打ちたくない。
打ちたくないだけの理由で、会社のインストール禁止のMacを触りたくないくらい。
(しばらく出社してないので触ってないけど)

先日ネット喫茶でUSB挿して薙刀式を使おうと思ったら、
MS-IMEのバージョンが上がってて、「前のバージョンのIMEにする」が、
ユーザー側から設定を変えられないネット喫茶仕様になってて、
qwertyしか使えずすぐに出たことがあった。

qwertyを使って長文を書くくらいなら、
今僕はフリックでやるかもしれない。

それくらい、僕にとってqwertyは「自分の言葉を書くことができない」
ツールである。

その牢獄に三日間強制収容されて、
はい今日から薙刀式使っていいですよ、
ってなったら、「うっひょー!極楽ゥー!」ってなるかも知れないね。
「今日から自由の身だァーッ!」ってなるだろう。
で、三日も経てばそのことはすっかり忘れて、
日常の一部でしかなくなるだろうが。


そういえば昔ガラケーのトグル入力で、
よく長文書いてたよな。1000字くらいは書いてた気がする。
JPhoneが2000字までメールを書けたけど、
その限界までよく書いてたわ。
そこからしたらフリックは極楽なのだが、
今は移動中の日常でしかないよなあ。

楽に対する、人間の慣れは恐ろしい。

速度を鍛えて速くなることだけが新配列の目的だったら、
もっと速度追求でみんな燃えていたのかもしれないが、
楽が目的になると、
誰も楽の話をしなくなる。

新下駄で楽々極楽、飛鳥でだらだら書くの最高、
なんて話がとんと聞こえてこないのも、
楽なので特筆して書くことがない、
みたいな無意識化に成功したのだと思われる。

作者的には、
「薙刀式を毎日使ってますが、
こんなに楽に使える配列はないです!
数ヶ月で慣れて今ではこんなに快適!」
なんて情報を知りたいんだけど、
観測されないのは慣れて日常になったのだろうと想像する。
(でも辞めてしまった人もいるはずで、
その差がこちらから全く見えないので不安になるんだよね)

そういうときは、
qwertyで半日暮らしてみるといい。
いかに自分が恵まれていたか初めて知った、
みたいな金持ちのボンボンの気分になれるぜ。

その差分について記述してみると面白いかも知れない。



(追記: 小川謙三さんが快適とネタツイートしてくれました。笑)
posted by おおおかとしひこ at 12:11| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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