そう考えるとわかりやすい。
私=主人公、
あなた=敵、
とした場合、
情報戦による勝利、秘密を利用、一人だけ知ってるチート、
などのストーリーを組むことができる。
主人公と敵を逆にすると、
「なんでやつはそんなことが出来る?
…そうか、それを知ってたのか…」
というストーリーを組むことが出来る。
で、
それが極端だとチート呼ばわりされると思うんだよね。
将棋を例にしようか。
駒を並べて王を取るために、
いろんな手の仕掛けをしていくことが将棋だが、
「盤上をひっくり返して無効化」が、
主人公にだけ許されていたとしよう。
そんなんずるいわ、チートや、
と総ツッコミが入るだろうね。
チートは、
みんながない前提で必死でやってる中、
一人だけ楽をすることだ。
それが出来るならみんなしてるわ、
というやつ。
ゲームでは時々チートが発覚して、
真面目にやってるプレイヤーが損したと怒ることになる。
なんなら真面目にやる意味ないわと見限ることもある。
ストーリーも同じで、
チートがあると、真面目にみる気をなくすと思う。
それは、そのズルっぷりで決まると思うんだよね。
ズルをすることは個人の中ではドキドキして得をするから、
その主観に気づかないことが多い。
他人がそのズルをしてて発覚したらガッカリするか、
自分のズルがバレたら非難されるかを基準に考えると、
チートに気づきやすいかも知れない。
そして、
だとしてもそのチートに魅力があるならば、
ストーリーのスパイスに使えるということ。
やっぱチートじゃねえか、
というのは御都合主義と呼ばれるわけだ。
話を最初に戻すと、
「作者だけ知ってて、
観客が知らないこと」があるとき、
それが御都合なのか、魅力になるのか検討してみると良い。
お前ら知らなかっただろ、と精神的に優位に立つのは、
御都合主義の可能性が強い。
それはチートだね。
逆に言うと、
物語は、チートなしで解く問題なのだ。
それだと現実的すぎて解ける規模が小さくなるので、
ひとつだけ嘘を入れて、
面白い規模に拡大するというわけだ。
2021年04月04日
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