バンドネオンという楽器を知った。
アルゼンチンタンゴで使われてるやつ。
僕はアコーディオンだと思っていたのだが、
アコーディオンは左手がボタン型キーボードで右手がピアノ鍵盤で規則的、
バンドネオンは左右とも不規則なボタン型キーボードらしい。
で、どうもその配列が不規則なまま複数あって統一されてなくて、
一度ドイツ人によって統一しようとしたものの、
結局は不合理な現在の不規則配列を使用し続けているそうだ。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/バンドネオン
人類よ、ここでも同じことをするのか。
三子の魂百まで、
なのだろうか?
一度覚えた運指法を全く別のものに変えることは、
人類には不可能の確率の方が高いのだろうか?
素人には一見不規則なのだが、
実は演奏者にしか分からない合理性があるのだろうか?
そうでなければ、すぐに廃れてしまったのではないか?
qwertyローマ字は不規則で不合理だが、
ブラインドタッチをマスターした者にしか分からない、
一部の合理性がある。
・必ず出てくる母音が、バラバラの指に当てられ、
左右2:3とバランスがいいこと
・多くの文字は左右交互打鍵かアルペジオになり、
1カナの範囲内では運指のいい確率が高いこと
・したがって、2打1文字が、「同時押し1文字」の感覚になること
・一部の文字の組み合わせはさらに長いシークエンスで同時押し的に打てること
(koreとか。じゃらっと打つ、などのように表現される)
・同時押しやシフトを用いない順次打鍵のみなので、
純粋に指の力を試せること(やりがいがあり、努力の成果が出やすい)
・Aの多用を除いては、案外指のバランスが取れていること
・NN連打、YU最適化あたりなど難しい運指は、
右人差し指を用いるため比較的楽なこと
などだろうか。
これらは「分かる者にしか分からない合理性」で、
どう見ても不合理な中に、
「とはいえ便利」があるから、廃れないのだと考えられる。
また、
「難しい壁を俺は超えた者であり、
俺はえらいぞ」という自己肯定感を得られることも、
廃れない原因ではないか?
これはバンドネオンでもひょっとしたら同じかも知れない。
つまり、局所最適解には、
局所最適解から脱出するためのエネルギーが必要なのだが、
局所最適解に収まり続ける快感の方が、
脱出のエネルギーより勝る。
ゆえに、すり鉢の中に収まってしまうのである。
「そんな難しいものをわざわざマスターして誇りを得なくても、
こんなに簡単に同じことができるよ」
を示すことでしか、
局所最適解に陥っている人々を「ぐぬぬ」とは言わせられないだろう。
qwertyローマ字は、今実質フリック入力に上書きされかかっている。
だがフリックでは長文入力に問題があるため、
「日本人の書く文章がフリックに最適化された、
短文に収束しつつある」現象が生まれている気がする。
つまり、
「qwertyマスターが書く長文」と、
「フリックで書かれるバカな短文」に、
日本人の知性は二分化しているような気がする。
バンドネオンはまだ演奏楽器だから、
特殊能力のひとつであるが、
こと言語においては深刻な国家的危機だと僕は思う。
(いや、アルゼンチンタンゴは、アルゼンチンのアイデンティティである、
なのかも知れないが)
バンドネオンは衰退しつつあるのかな。
若者がこぞってマスターしようとしているものには見えないから、
伝統芸能的な一定の継承に留まるのだろうと予測される。
日本の衰退はqwertyとフリックのせいだ、
と大上段に構えてみるとしようか。
デファクトスタンダードはいずれ継承者が減り、
デファクトスタンダードの持つ文化ごと衰退していくのだろうか?
バンドネオンの未来が、qwertyの未来だと僕は思う。
「誰もが日本語を自由に書き、
長文もバンバン書く」というかつて描かれた未来は、
実は訪れなかったのかもしれないね。
ちなみにライニッシュ式の項目をよく読むと、
「都度増設」が犯人のようだ。
どこも同じだな。
2021年04月10日
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