2021年04月12日

二幕で途方に暮れる理由

そこそこ才能があれば、一幕までは誰でも書ける。
ざっくり言えば出落ちと、面白そうな前振りをすればいいからだ。
前書きまでは誰でも書ける、みたいなことだ。

しかし第一ターニングポイントを過ぎ、
二幕に突入した瞬間急に書けなくなってしまう人はとても多いと思う。

なぜここでスピードが急落するのか?


それは、
「二幕を作ってないから」ではないか?

二幕を作るということはどういうことだろう?
一幕を書こうと思ったときと同じ程度に、
頭の中にイメージが湧いている状態かどうか、
だと思う。

しかも二幕は一幕の倍の長さがある。
一幕の倍のイメージを、
書く前から持ってるか?
という話なのだ。

たぶん二幕で急激にスピードが落ちる人は、
持ってないと思う。

一幕を思いついたから書き始めたその段階で、
一幕、二幕と、
三倍の量を頭の中に作っていない。
必要な量の1/3くらいしか出来ていない時点で、
見切り発車をしている。
だから書けないのだ。準備が足りないんだもの。

あるいは、一幕と三幕が出来ていて、
よし書こうと思い始めるかも知れない。
二幕が何にも出来てなくて書き始めるバカはいないだろうから、
多少の二幕のイメージはあるだろうが、
おそらく一幕程度のイメージの解像度ではないか?

つまり必要量の半分しか考えてない状態で、
二幕を書き始めるから、
詰まるのだと想像する。


「書きたい衝動」との戦いに、
おそらく負けて書き始めたのである。

一幕は思いつきのスパークを伴うから、
このイメージが燃えているうちに書きたいと思う気持ちはとてもわかる。
そのスパークが尽きたときが、
二幕突入のときだ。
この時に一幕ほどに書きたい衝動はあるか?
多分ないだろう。
だから詰まる。

二幕を書きたい衝動はどういうものか?

たとえばこういう展開がすごく面白いぞ、
たとえばここのどんでんがすごくいいぞ、
たとえば敵キャラのこのセリフがすごくいいぞ、
たとえばサブプロットのこの場面がすごい、
たとえば二人が別れるこの瞬間のアイデアがいい、
たとえばこの爆破シークエンスがすごく面白い、
など、
具体的な二幕の場面や流れについて、
一幕を書きたい衝動の、
倍書きたい衝動が溜まっている、
という状態のことである。

つまりあなたは、
半分ごときの衝動で見切り発車を始めてしまったことが、
失敗の原因だ。

一幕ほど煮詰めてぎちぎちの状態で始めずに、
スカスカのアイデアの状態で始めたから、
書けないのである。

「二幕は書いてるうちに思いつくやろ」
という希望的観測が、甘かったのである。
思いついてないわけだからね。

つまり早漏だ。


一幕を書きたいと思った時点で、
おおむね三幕はできている。
それで出来た気になってしまって早漏したのだ。

その倍、アイデアを煮詰めない限りは、
書き始めてはいけなかったのだ。


二幕に一幕ほどのアイデアを。
二幕に一幕の倍のアイデアを。

それも出来ないのに、衝動に負けてはならない。

どうしても早漏してしまうなら、
一幕だけ書いた残骸をたくさん手持ちで持つことだ。
いつか二幕の芽が出る畑だと期待して、
凍結するために一幕の衝動を早漏しまくるのは手としてある。

そのうちに、一幕の衝動の大きさが体感で分かってくる。
じゃあその倍を体内に蓄えればいいんだな、
と分かるだろう。

いかに、事前のアイデアの練りが必要か、
ここでやっと分かって途方に暮れるに違いない。


それを超えた者だけが、シナリオを書ける。
posted by おおおかとしひこ at 01:46| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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