これを体験したことない人は、
いますぐ体験してみてほしい。
まったく世界が変わるので。
たとえば無変換をCtrlキーにしてみよう。
DvorakJのショートカットで、
無変換キーをショートカット起動キーにする。
で、Qキーに^q(Ctrl+Qのこと)…
と30キー全部にCtrl+○○を設定するのである。
(細かいやり方はDvorakJのマニュアルをどうぞ)
「無変換キーをCtrlに設定するのではなく、
無変換+○をCtrl+○に全部設定してしまう」
という考え方に初めて触れたのがこれだった。
そうするとなんでも設定できる。
変換キーをAlt+○に設定してやろ、
ひらがなキーをWin+○に、とかね。
ともかく親指Ctrlにした瞬間、
世界は変わる。
あれだけ煩わしかった小指が解放され、
ショートカットが親指との組み合わせで打てるようになる。
(ほとんどMacのCommandの操作感になる)
ZXCVの打ちやすさもいいし、
その他なんでも来いだ。
僕はこの瞬間、
「良く使うものは動線のいい所に置くべきであり、
色んなものの都合上でそこに置かれたものを無理やり押す必要はない。
むしろ自分の都合で動かして良いのだ」
ということに目覚めた。
キーの位置を動かすことへの不安は、
「自分が勝手にやってたものが、
色んな設計をされているものとバッティングして不具合を起こさないか」
だと思う。
それでもやっちゃっていいと思うよ。
なぜなら、
「それまで知らなかったんだから、それを使わない」
からである。
「いつか来る未知のために今耐えるのは意味がない。
今効率化すればいい」
と僕は考えた。
無変換をCtrlにしつつ、元の左下のCtrlも生かしとけばいいのさ。
そうすると「手慣れたショートカットは親指で、
知らないやつは元のCtrlで対応(たとえばShift+Ctrl+○とか)」
としとけばいい。
「手慣れたものかどうか」の判断が一手間入るけど、
手慣れないものはそんなに打たないから、
ほぼ手慣れたもので受けるメリットばかりなのだ。
こうした、
「確率的に良くあるものを使いやすくして、
その他はデフォルトを使うようにする」
を学ぶことが出来るのが、無変換のCtrl化だ。
この考え方に慣れてくると、
「良く使うやつだけを集めて、
もっと動線を効率化しよう」
「使わないやつは使わない覚悟を決めよう」
という風になってきて、
それが薙刀式の編集モードへと収束して行くことになる。
その先は、
「それに慣れたんだから、いつでも必要に応じて移動しよう」
という心構えのようなものである。
親指Ctrlは、自作キーボードでは、
さらにキーごと移動してしまい、
いい位置に持ってきたりする。
僕は編集モードを文書編集に使いつつ、
プログラミングの時は自作キーボードのC下にあるキーを、
Ctrlキーにバインドさせて親指で打っている。
Ctrlキーを使わないでWindowsを使うのはかなり面倒だ。
Ctrlキーはまず最初に「この位置でいいのか?」
を考えるべきキーではないかな。
A横Ctrlも悪くないが、
小指が痛む人は親指Ctrlを考慮してみるといいぞ。
指の可動域が少し減るだけでこんなに違うものなんですね。
やはり現状に満足せずに常に改善を意識せねばと再認識させられました。
Claw44の一番内側というか下側というか、
あのキーは何を置くか迷うところですね。
英数かなが妥当だけど薙刀式はそれをさらに近くにしたしなあ…