以下のようなツイートを見かけたので、議論してみようか。
> すーみーACT2.0@0Act2・3月27日
キメハラ脚本論@
これ、鬼滅に置き換えると面白い
炭治郎、伊之助、善逸で置き換えは、ほぼできないんですよね
つまり、個性で悩んでいる方は鬼滅の刃を参考にすれば見えて来るものがあるのでは?
引用ツイート
槌谷 健@TsuchiyaKen1981 ・ 3月27日
で、没個性になっていないかどうかの判断は、そのシーンに出てくる人物(特に主人公)を別の誰かに置き換えてみるとわかります。
つまり、主人公Aのセリフや行動を別の人物Bにやらせても違和感が無ければ、Aのセリフや行動に個性がないというわけです。
(続く) twitter.com/TsuchiyaKen198…
炭治郎、伊之助、善逸の置き換えは、
僕は、できる、と思う立場だ。
炭治郎の動機 妹を人間に戻したい
伊之助の動機 よくわからんが、倒す
善逸の動機 よくわからんが、戦う(根津子かわいい)
であるから、
伊之助の妹が鬼になったから戦うという話や、
善逸の妹が鬼になったから戦うという入れ替えは可能だ。
伊之助の山育ちの背景で、
多少狂暴化した炭治郎や善逸を当てることも可能だろう。
善逸のよわっちい感じの立場に、
イノシシを被らなかった伊之助や、炭治郎を当てることも可能だ。
シーンの単位では影響を受けるとは思う。
あれはやらない、できない、
そのかわりこれをする、などはあり得る。
しかし大きなストーリーは、たいして影響を受けないと僕は思うがね。
もちろん、セリフやしぐさなどの役者レベルの細かいことも変わるし、
シーン単位の質感は全然違うものになるだろう。
しかしストーリーそのものは変わらないし、
テーマも影響を受けないと思う。
なぜなら、ストーリーに関係するキャラクターは、
「それまでの行動や経験」が関係するからだ。
伊之助が長男として生まれて、兄弟思いで、
父の神楽を見て育ち、
家族が惨殺されれば、
炭治郎とは異なるものの、似たような行動は取るだろう。
善逸も同じだ。最初は泣いてたとしても、
妹を守るために、兄として立ち向かうことになるはずだ。
つまり、もって生まれた性格や話し方は、
行動に多少の影響を及ぼすが、
それよりも、立場や起こったことに対する行動や決断のほうが、
行動に影響を及ぼすと、
僕はかんがえている。
今あるその人間は、
DNAが作ったのか、
これまでの人生がつくったのか、
ということである。
僕は、前者の影響はストーリーには少ないと考えるし、
シナリオというのは、後者をつくるものである。
もちろん、シーンの質感は異なる。
伊之助が炭治郎の立場に置かれれば、多少粗暴だが兄弟おもいのキャラになるだろうし、
善逸がイノシシを被る立場に置かれれば、粗暴だけど急に泣くキャラになるだろう。
しかし、大きなストーリーはまったく変わらず、
三人はどこかで出会い、時を同じくして鬼殺隊に入るはずだ。
「できない」ってことはないだろう。
簡単ではないかもしれないが、書けると思う。
「もう入れ替わってしまったものが鬼滅ではない」と言われればそうだし、
「いや、多少変わったがやはり鬼滅である」と思えばそうだ、
という話をしている。
そのときアイデンティティーになっているのが、
キャラクターの個性だけでいいのか?ということだ。
もちろん、あの立場にあのキャラがベストマッチしている、
ということはそうかもしれないが、
別解は全然あると思うがね。
出来ないと考える立場の人は、
それを想像する力を持っていないだけではないか?
2021年04月19日
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