Rayさんの親指シフト批判記事を再読などしてるのだが、
そこでなるほどと思ったこと。
古い配列の評価基準として、
「同指連打の回避」がまず第一にあったっぽいこと。
左右交互の重視も、
「左右交互だとリズミカルで打てていいぞ」
という積極的理由ではなく、
「左右交互が多いと、同指連打の確率が下がる」
という、消極的理由での採用ではないか、
ということ。
同指連打という悪運指の除去が、
「よくなる」の根拠であったくさいこと。
これだと、正確には、
よくなるのではなく、悪くなくなる程度だろうね。
親指シフトの小指部分は、
僕は全く納得がいかないのだが、
左小指の「う」「。」、右小指の「、」「ん」が、
小指連打の確率を下げることが目的である、
というRayさんの批評を見て、
配置の理由がはじめてクリアになった気がする。
日本のメーカーって、
悪いのを取り除くことに命をかけるんだっけ。
多少欠点があったとしても良いものにスポットを当てるんだっけ。
前者っぽいねえ。
新JISの開発の時も、
まず連接しない同士のカナを二つにわけて、
左右交互打鍵率を高めたことが記録に残っている。
つまり同指連打は、
「ブレーキの効かない車」をはじくためにあったっぽいんだよね。
欠点を最小にすることは分かったとして、
じゃあ長所は伸ばされたのか?
親指シフトも新JISも、そこまで考えてなかったっぽい。
「日本語でよく使うフレーズを、
アルペジオを含めた良運指で打てるようにする」
という、
長所を伸ばす設計方針は、
飛鳥以前の配列では、
おそらく意識になかったのだと考えられる。
飛鳥以降の、第二世代以降の新配列では、
アルペジオの採用など、
積極的な良運指の活用が見られると思う。
親指シフト、新JISは、
「苦しゅうないが、最高ではない」
みたいなバランスなのかも知れない。
「最高の部分もあるし、多少の欠点もその分ある」
という個人開発の配列は、
その分尖っているということだ。
薙刀式は、よく使うフレーズを、
あらゆるタイプのアルペジオに放り込み、
統計的な連接よりも、
繋ぎの言葉を滑らかに打てるようにバランスが取られている。
このため、
「膠着語として日本語が機能するときに最高」
という、言葉と手の感触があると考えられる。
「左で繋ぎ、右手でとどめ」という手の大まかな動きも、
左右の手の使い方が直感的だと思う。
そのかわり、何かしらの欠点はあると思う。
短所がなるべくない、旧新配列か。
それとも長所を伸ばして、多少の短所に目を瞑る、新新配列か。
僕はキャラの濃いのが好きなので、
後者がいいと思うけどな。
八方美人は美人じゃないと僕は思う。
これも好みだけど。
2021年04月15日
この記事へのコメント
コメントを書く