2021年04月16日

【薙刀式】同指連打の回避2

薙刀式は同指連打の回避にそこまで神経質になっていない。

少なくとも右人差し指の同指連打は嫌っていない。
だって字を書く時って右人差し指のずっと連続じゃん、
と単純に考えたからだ。


タイピングの打鍵理論的には、
同指連打は回避するべきだと考える。

Aを打ったあとにBを打つとして、
同指ならば、Aを離したあとにBを打たないとダメだが、
異指ならば、Aを離す前にBを打ってOKだからだ
(ロールオーバー)。

こうすると速くなる。
AとBを打つ指が極限まで速くなれば、
殆ど同時押しの感覚でいけるわけである。

もちろんこれは二連接だけでなく、
n連接に拡張可能だろう。
トップタイパーの秒間10打以上は、
この異指ロールオーバーで支えられていると考えられる。
あるいは、同指連打を避けるために、
タイパーの世界では、決められた位置の指でない指を借りて打つことすらある
(最適化。例: YUを人差し指中指で打つ)

これは、
「ある決められた楽譜通りになるべく速く打つ」
ことが目的の場合は100%合理的だろう。

でも僕は、「書くこと」とはそうじゃないんじゃない?
って思ったのだ。

書くことは自由演奏だ。
あることを書いたことで、次の言葉が簡単に予定と変わる。
決められたステップを踏むのではなく、
アドリブでステップが変則的に変わっていくことが、
書くことである。

その時に役に立つのは、「頼りになる指」だ。
一番は右人差し指、
そこからだいぶ下がって右中指、ちょっと下がって左人差し指、
くらいの信頼度だろうか。

アドリブで書くことは、
次にどう変奏するか不明だから、
頼りになるわずかな指に集中した方がいいと、
僕は考えた。

もちろん、ピアニストのように十本指を鍛えまくり、
「どの指も同じ程度信頼できる」
という状態をつくれれば、
そんなことないのかも知れない。

しかし僕の目的は文章を書くことで、
ピアニストのような指になりたいことではなかった。

だから、右人差し指26%、左人差し指24%(この二本で5割)、
右中指15%、左中指15%(四本で計8割)の、
薙刀式のバランスができたのだ。


ただし弱い薬指や小指は、
徹底的に同指連打は避けた。
単純に辛かったからである。
これに関しては打鍵理論どおりにして良かったのは確かだ。
なにせ動かない、弱い指は使わないに限る。

その代わり、信頼のおける指は、
同指連打を徹底的に避けることはしていない。

4本+親指でアドリブもなんとかなるっしょ、
と割り切ってどんと構えた感じ。
「変な指に負担をかけるくらいなら、
得意な指で連打してしまえ」
という感覚だ。


極端な例は、文末に多用する「た。」「だ。」だ。
N【M】(【】はセンターシフト)と、
右人差し指の連打である。

これにしたって文章の留めを、
拍子木を二回チョンチョンと打つ感覚で打てる。

打鍵理論的には誤りかもしれないが、
「拍子木を二回打ち文意を断定で確定する」
というアクションは、
書き手の意思を指に乗せている感覚があると思う。

Ctrl+NやMは、
ショートカットキーでも確定に当てられることがよくある。
この辺の二連打が断定、というのは、
強い意志の表れになると思ったのだ。

勿論最適化でMを中指で取ってもいいけど、
なんか人差し指二回で確定、
というのは気持ちがいいんだよね。
ダブルクリック的でね。


同様にエンターがV+Mにあることで、
頼れる指で確定することは、文を手で操作している感覚に合致する。
小指エンターで確定は、信用ならない感じがする。


薙刀式の強い指の同指連打は、
だから意図的に排除していない。
もちろん打ちづらい連接は排除しているが、
同指であることでむしろ心地よいようになっている。

それがコンマ秒の時間がかかったとしても、
文意と指が合っているほうが、
文章をアドリブで書く感覚になると思われる。


8本の指を自在に扱える人は、
じゃあどういう文章を書くのだろう?
脳内発声がある人は、音声が本体だから、
指は媒介に過ぎないのだろうか。
脳内発声がない人でも、指が動けば問題ないのかね。


新配列の前提は、
やはりタイピングの基礎がしっかりしている人なのかも知れない。
薙刀式はタイピング素人の僕がつくった、
素人向けの配列であるとも言える。
(逆に玄人は物足りないのかも?)
posted by おおおかとしひこ at 20:14| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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