2021年04月21日

ロジックの精度

頭のいい人と悪い人の差はなんだろう。
扱えるロジックの精度だと思う。


頭の悪い人は、
脳内ロジックが単純で、荒い。
破綻や矛盾があったり、
本来論理的でないものを論理で扱ったりする。
あるいは、
そのロジックはある方面にしか適用できないのに、
他の場面でも使ってしまう。

少し頭が良くなると、
ロジックの精度がよくなる。
どんな場面でも適用できるように、
ロジックが細かくなり、綿密になる。
色々なことを想定して、
全てをロジックで組むようになる。

しかしこれは、僕はまだ頭が悪いと思う。
例外条項でビッチリの契約書みたいなもんで、
「それを扱える人にしか扱えない」
危険物でしかない。

俗に言う秀才止まりだ。

さらに頭が良くなると、
「誰にでも分かるような平易なロジックなのに、
強い」になる。
つまり、適用範囲が広く、
矛盾せず、応用できる。

最高のロジックと、バカのロジックは、
バカは区別できない。
どちらもシンプルで平易な見た目をしているからだ。
秀才ですら、
自分の迷路のようなロジックの方が上だと思うだろう。

最高のロジックとバカのロジックは、
つまりは頭が本当にいい人しか判別できない。



ストーリーのロジックでいえば、
藤子不二雄や鳥山明のストーリーは最も頭のいい人によって作られたものだ。
デスノートのロジックは、
秀才がつくったロジックストーリーだ。

手塚治虫は、天才と秀才の間を行き来した作家だ。

宮下あきらや車田正美はバカのロジックだが、
バカ故に勢いのある最強味があった。


僕は、秀才止まりになるな、
と警告したい。
どうせなら天才まで突き抜けるか、
いっそバカレベルの勢いまで戻って突き抜けなさいと。

その意味で、一周回って天才とバカは紙一重になる。

愚者のロジックは、一周まわってもいない。
秀才のロジックは、まだ半周である。

突き抜けないと、おもしろいまでは到達しない。
posted by おおおかとしひこ at 00:51| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。