中国拳法に、「塔手」という体勢がある。
お互いの前手と前手を接触させた体勢での組手スタート。
カンフー物で見たこともある体勢だろう。
僕は、これはストーリーそのものであると考えている。
剣道でも同じだ。
試合開始後、剣先と剣先が触れ合う距離で、
攻防がはじまる。
これを「一足一刀の間合い」と呼ぶ。
一歩踏み込めば刀が届く、という意味だ。
何もしないと切られるので、
相手の剣に剣で触れて、
動きを封じつつお互いに死線の手前ギリギリにいるわけだ。
塔手もおなじ。
剣道でのこの状態を、前手同士でつくりだす。
「燃えよドラゴン」では、
中国拳法同士の戦いの時はここからはじまることが描かれる。
「ドラゴンへの道」での空手戦では、
相手は中国拳法ではないため、塔手からは始まらず、
離れあった間合い(空手の試合のような)から始める。
太極拳の試合はここからスタートすることで有名で、
推手という名前を聞いたこともあるだろう。
塔手スタートの自由攻防をそう呼ぶ。
なぜこの状態から始めるのかでいうと、
「一発攻撃をして、それを受けた状態からのスタート」
という説明をされる。
離れた状態では話し合いなどの別の解決法もあるはずだが、
どっちかが手を出した以上、腕力による解決しかなくなる、
という状況の想定なのだと。
技術的には遠間からのラッキーパンチの可能性を予め除去して、
武術的な攻防だけを鍛えよう、という意味合いがある。
だいぶ前に香港映画のマフィアもので流行った、
「お互いに銃を突きつけて身動きが取れなくなる」
やつを思い出すと良い。
(変型版に5人ぐらいがそれぞれに銃を突きつけて…
ってやつもあったね)
これは、初手で殺意を表明して、
以後どのように試合(死合)をする?
という開始の合図という点で、
塔手と同じなのだが、
銃を突きつけあう状態を塔手と見ている観客は、
武術マニアだけかもね。
でも意味は塔手も一足一刀も、銃を突きつけ合うのも、
同じなのである。
さて、本題。
この状態は、
ストーリーのどこで起これば良いか?
クライマックス?
中盤のどこか?
序盤だとその理由がわかりづらい?
僕は、第一ターニングポイントだと思う。
具体的に敵がいるのなら、
その敵に戦う宣言をしたところだろう。
キツイ一発をお見舞いして
(たとえば敵の彼女を寝とるとか、敵の車を壊すとかでもいい)、
「これからそいつとバトルを始めるぞ、
ここからが本番だ」
という場面だろう。
具体的な敵がいなくても良い。
主人公は問題に直面しており、
その問題の解決こそがゴールである。
ということはその問題は「抽象的な敵」だ。
その敵に対して、
喉元へ銃口なりナイフなりを突きつける(抽象的な)場面が、
第一ターニングポイントになることだろう。
ストーリーとはコンフリクトである。
そのコンフリクト、すなわち攻防こそが中身である。
試合開始までが一幕であり、
試合の内容が二幕である。
塔手で、
相手(抽象でも、具体でも)に、
ナイフを喉元に(抽象でも、具体でも)突きつけあった状態から、
試合することが、
コンフリクトを描くことだ。
有利な状況にもなるだろう。
不利な状況にもなるだろう。
一本取られたり取ったりするだろう。
大躍進や大敗北、大逆転、シーソーもあるだろう。
ロッキーの試合のように、ラストだけ試合をするのではない。
二幕の試合は、人生という試合である。
人生というと急に難しくなるから、
「ある目的の解決」をすることと考えれば良い。
ボクシングやカンフーの試合と違い、
基本ルールはない。
味方を呼んでもいいし、倫理的に問題がある手を使っても良い。
寝首をかいてもいいし、奥の手を使ってもいい。
そんな人生の試合こそが物語である。
試合にたとえるなら、三幕は最終ラウンドに過ぎないわけだ。
先ほど塔手は序盤にはふさわしくない、
と言ったのはこのためだ。
「なぜそのナイフを喉元に突きつけ合う状況になったのか」
を描くのに一幕まるまるかかるということだ。
逆にいうと、
ナイフを喉元に突きつけ合ってないような第一ターニングポイントは、
ぬるいということである。
「なんとなくこうしよう」とか、
「なんとなく次のステージへ行こう」とか、
「そんなにナイフを突きつけなくてもいいんじゃない?」では、
面白くないということである。
ナイフを喉元に突き付け合う状況は、
恐怖を伴う。
リスクを伴う。
そのヒリヒリした緊張感がないものは、
ストーリーとしてぬるいということである。
こちらがナイフを突き出した瞬間、
相手に刺されるのではないか。
その緊張感があるまま進まなければ、
面白いコンフリクトとはいえない。
二幕が緩みがちなのは、
この緊張感や恐怖が途切れてしまうからである。
あるいは同じ緊張に飽きてしまうからである。
二幕で状況が色々変わっていくのは、
新しいナイフに目先を変えさせているということなのだ。
第一ターニングポイントで、
主人公は塔手する。
それまでに塔手しなければならない、
どうしてもそうしなければならない事情や動機がある。
一歩間違えれば刺される緊張や恐怖の中で、
二幕という長い長い試合をする。
勝ったり負けたりフェイントをかけたりしながら、
攻防戦を戦い抜き、
最終ラウンドまでもつれこむ。
あとは最終ラウンド勝利するだけだ。
塔手は、中国拳法の象徴である。
僕はそこに、ストーリーを見る。
あなたの第一ターニングポイントは、きちんと塔手しているか?
あなたのストーリーの塔手はどこだろう?
クライマックス?第二ターニングポイント?
ミッドポイント?
それでは遅い。
その場面を第一ターニングポイントにあげると、
ストーリーはどうかわる?
2021年04月24日
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