2021年04月19日

量を書くことで得られること

力を抜くこと、かも知れない。


小説「てんぐ探偵」の第七章の第一稿をタイプし終えた。
第97話まで終わった。

僕は小説をすべて手書きで書いていて、
部屋の隅にそれを積んでいる。
それがすでに出窓の高さを超えているのに気づいた。

脚本家の世界には、
(手書き原稿かつ原稿用紙で)
「背の高さを越えるまで書けたらデビュー」
という伝説がある。

僕はA4一枚の白紙に表裏書き、
かつ表におおむね800字書くので、
一枚あたり原稿用紙4枚分書く。

小説に関しては、まあ背の高さを超えたと考えてもいいかな。

20年前、コピーライターの世界でも、
「没コピーを段ボール二箱書けたら一人前」
という伝説があった。
(A4一枚に1コピーというのがコピーライターの習慣なので、
そんなに大した量じゃないと思うが)


数稽古はどこの世界でもある。
絵だって一万時間やれという世界だ。

第一には、その情熱のないやつをふるい落とすためにある。

グダグダ理屈を捏ねるよりも、
まずやってみろよという世界だからだ。

我々は後方の評論家ではなく、
最前線のダンサーである。

まずやれなければ意味がない。


また数稽古は、
色々なパターンを出せるか、ということを問う。

最初からパターンを持っているやつはいない。
実戦や習作を重ねているうちに、編み出せ、対応しろ、
ということである。

「もう出ない」とヘロヘロになった時がチャンスだ。
自分の持ちパターンを全て尽くした時だからだ。

ここで新パターンを作らないと死ぬ、
という状況に追い込まれて、
突破し続けた(あるいは爆死した、試行錯誤した)記録が、
段ボール二箱や背の高さになるわけである。


鍛えられてないはずがない。


持ちネタを消費するのを恐れて、
数を書かないやつがいる。
そいつはいつ鍛えるのだろう?
そのネタ4万字を書く間に、
書くやつは背の高さ分試行錯誤しているのだ。

どちらが対応力があり、こなれた文章を書くだろう?


また、数稽古は、肩の力を抜ける。
どうとでも対応できるわ、してきたわという経験が、
自負や自信になる。

初めて書く文章は、誰もむごいものだ。
初めて書いた6年くらい前の第一話は、
やはり下手だったと今なら思う。
でもその時はベストだと思って書いてたのだ。

なぜ初めて書く文章がむごいかというと、
肩の力がガチガチに入っているからである。

初めて女の子とデートするときに、
ずっと緊張して肩に力が入ってる人といて、
楽しいはずがない。

やりちんほど、リラックスするべきところは抜き、
いざというところだけ決めてくるだろう。
剣の達人ほど、力を抜いて動き、
人を切る瞬間だけ剛体になるだろう。

それと同じだ。

数稽古は、ガチガチになる心を、
肩の力が抜けた状態にするまでやるべきだ。

「いくらでも書けるよ。次何する?」
くらいの状態になることが、
プロの第一歩に必要だと僕は思う。

やりちんだって、
「いくらでもどんな女の子でも楽しませられるよ。何しようか?」
の状態に常にいるわけだろう。


「渾身のネタで10年温めて、
初めて書くのだが、これでダメだったら俺は死ぬ」
なんてガチガチのものが、
面白いわけがない。
童貞のデートだよねそれは。



わりとどうにでもなる。

その境地に至るまで、
数稽古をすることだ。

長編はキツいしダメだった時の反動がデカイから、
短編を100本1000本書くといい。

僕は「おわり」を書いた回数が、
人を鍛えると思っている。
5回より100回の方が鍛えられてるし、
100回より1万回の方が鍛えられてると思う。


肩の力が抜け始めてからが本番。
その先にしか、楽しいランデブーはないよね。
posted by おおおかとしひこ at 14:46| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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