は、僕は違うと思う。
ベン図と同じで、重なり合うところもあれば、
重ならないところもあると考える。
一緒にいて楽しい人で、
話は特に面白くない人を考えよう。
イケメンや美女だと、
それだけで楽しくなる可能性はある。
仕草が可愛かったり、いい匂いがしたり、
自分と違う世界のことを知ってたり、
面白い店に連れてってくれたり、
頭の回転が早くて先回りしてくれたり、
機転が効いたり、
流行りを上手に抑えてたり、
楽しいだけじゃなくときに真面目な話をしたり、
以心伝心だったり、
エネルギッシュだったり、
尊敬できたりすると、
一緒にいて楽しいだろう。
とくに話す話はなんでもよくて、
ただ一緒にいるだけでプラスになる人だ。
「生物としての魅力のある人」と言い換えてもいいかも。
逆に、
一緒にいたくはないけど、
話だけは聞きたい人はどういう人か。
上の要素を一つも持ってないのだが、
ただただ話が面白い人である。
興味ある話題に対して、深い含蓄があり、
幅広い教養があるだけではない。
とあるエピソードがとても面白く、
掘れば掘るほど別の面白いエピソードが出てくる。
しかもそれらは単発ではなく、
起承転結が効いた話になっている。
なるほど聞いてよかった、ためになった、
などが感想だろう。
そう来るとは思わなかった、
意外でびっくりした、
こんな風な納得があるとは、
などもあるだろう。
生物的に不快だったとしても、
話が面白ければ、また別の話を聞かせてくれ、
と思うのではないだろうか。
映画は、
綺麗で一緒にいたい俳優を使い、
面白い話を聞かせるメディアである。
もちろん、あなた自身が、
芸能人並みの容姿を持ち、
あるいはキャラがあってモテモテならば、
あとは面白い話をすればパーフェクトだ。
あるいは、
面白い話がなくとも、モテモテ人生を歩めばいいかもだ。
何が言いたいかというと、
「一緒にいたい/いたくない」という軸と、
「話が面白い/面白くない」の軸は、
別だということである。
話が面白くて、一緒にいたいのと、
話が面白くないが、一緒にいたいのと、
話が面白いが、とくに一緒にいたいわけではないのと、
話が詰まらなくて、一緒にいるのも嫌だ、のと、
あるということだ。
「おもしろい」「すき」という感情は、
容易に混同をきたす。
特に面白くもないのに、好きになったら、
面白いと勘違いしてしまうことはとてもよくある。
紳助が昔、「ちょっと売れたらキャーキャー言ってくる女は、
大事やけどそいつらを笑わすことだけを目標にしてしまうと、
笑いのレベルが下がる。あいつら何でも笑いよるから油断するんや」
というようなことを言っていた。
好きという感情が振れ幅の大きな人ほど、
それ以外を見誤る例をよく見る。
(下手くそなバンドマンに尽くす女、
我が子が可愛くて見誤る親など)
冷静に分離することだ。
あなたがいいと思うものはなんでそう思うのか?
一緒にいたいからいいと思ったのか?
話が面白いからいいと思ったのか?
それは、一緒にいたくなくても、面白いのか?
映画やテレビという商売は、
面白い話を、一緒にいたい人気者たちで、
シュガーコーティングすることで成立してきた。
いまコーティングの砂糖だけが宙に浮いてる気がする。
で、とくに一緒にいたくなくても、
面白いYouTuberに食われている。
(成り上がったYouTuberがあんまり面白くなくても、
ただ確立した芸風だけで続いているのも、
終わりの匂いを出し始めたね)
あなたは、
嫌われたって、一緒にいたくなくたっていい。
もちろん好かれても一緒にいてもいい。
好かれたり嫌われたりしてもどっちでもいいし、
それが面白さの軸をぶらすべきではない。
好かれる/嫌われるとは別の軸が、
あなたの戦場である。
ただ面白い話をしなさい。
2021年04月25日
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