2021年04月25日

話が面白い人/一緒にいて楽しい人

は、僕は違うと思う。
ベン図と同じで、重なり合うところもあれば、
重ならないところもあると考える。


一緒にいて楽しい人で、
話は特に面白くない人を考えよう。

イケメンや美女だと、
それだけで楽しくなる可能性はある。

仕草が可愛かったり、いい匂いがしたり、
自分と違う世界のことを知ってたり、
面白い店に連れてってくれたり、
頭の回転が早くて先回りしてくれたり、
機転が効いたり、
流行りを上手に抑えてたり、
楽しいだけじゃなくときに真面目な話をしたり、
以心伝心だったり、
エネルギッシュだったり、
尊敬できたりすると、
一緒にいて楽しいだろう。

とくに話す話はなんでもよくて、
ただ一緒にいるだけでプラスになる人だ。
「生物としての魅力のある人」と言い換えてもいいかも。

逆に、
一緒にいたくはないけど、
話だけは聞きたい人はどういう人か。

上の要素を一つも持ってないのだが、
ただただ話が面白い人である。

興味ある話題に対して、深い含蓄があり、
幅広い教養があるだけではない。
とあるエピソードがとても面白く、
掘れば掘るほど別の面白いエピソードが出てくる。

しかもそれらは単発ではなく、
起承転結が効いた話になっている。

なるほど聞いてよかった、ためになった、
などが感想だろう。

そう来るとは思わなかった、
意外でびっくりした、
こんな風な納得があるとは、
などもあるだろう。

生物的に不快だったとしても、
話が面白ければ、また別の話を聞かせてくれ、
と思うのではないだろうか。



映画は、
綺麗で一緒にいたい俳優を使い、
面白い話を聞かせるメディアである。

もちろん、あなた自身が、
芸能人並みの容姿を持ち、
あるいはキャラがあってモテモテならば、
あとは面白い話をすればパーフェクトだ。
あるいは、
面白い話がなくとも、モテモテ人生を歩めばいいかもだ。

何が言いたいかというと、
「一緒にいたい/いたくない」という軸と、
「話が面白い/面白くない」の軸は、
別だということである。

話が面白くて、一緒にいたいのと、
話が面白くないが、一緒にいたいのと、
話が面白いが、とくに一緒にいたいわけではないのと、
話が詰まらなくて、一緒にいるのも嫌だ、のと、
あるということだ。

「おもしろい」「すき」という感情は、
容易に混同をきたす。

特に面白くもないのに、好きになったら、
面白いと勘違いしてしまうことはとてもよくある。

紳助が昔、「ちょっと売れたらキャーキャー言ってくる女は、
大事やけどそいつらを笑わすことだけを目標にしてしまうと、
笑いのレベルが下がる。あいつら何でも笑いよるから油断するんや」
というようなことを言っていた。

好きという感情が振れ幅の大きな人ほど、
それ以外を見誤る例をよく見る。
(下手くそなバンドマンに尽くす女、
我が子が可愛くて見誤る親など)


冷静に分離することだ。


あなたがいいと思うものはなんでそう思うのか?

一緒にいたいからいいと思ったのか?
話が面白いからいいと思ったのか?

それは、一緒にいたくなくても、面白いのか?


映画やテレビという商売は、
面白い話を、一緒にいたい人気者たちで、
シュガーコーティングすることで成立してきた。

いまコーティングの砂糖だけが宙に浮いてる気がする。

で、とくに一緒にいたくなくても、
面白いYouTuberに食われている。
(成り上がったYouTuberがあんまり面白くなくても、
ただ確立した芸風だけで続いているのも、
終わりの匂いを出し始めたね)


あなたは、
嫌われたって、一緒にいたくなくたっていい。
もちろん好かれても一緒にいてもいい。

好かれたり嫌われたりしてもどっちでもいいし、
それが面白さの軸をぶらすべきではない。
好かれる/嫌われるとは別の軸が、
あなたの戦場である。

ただ面白い話をしなさい。
posted by おおおかとしひこ at 07:14| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。