下手な芝居は「やらされてる、無理にやってる」芝居。
上手な芝居は「自分から是非ともそうしたい」感じの芝居。
もちろん、
「今この男は無理矢理やらされているのだ」
という文脈は例外。社畜の場面とかね。
そうじゃない時の芝居でも、
下手な役者は、
他人の言葉を無理矢理言ったり、
別にそうしたくないのにそれをしてるふりをする。
お金のために無理矢理笑う風俗嬢みたいな感じ。
上手な風俗嬢は、
「本気でこれが楽しくてやってる」
オーラをまとう。
それが嘘か本当かはどっちでもいい。
役者の芝居というのは、
ヨーイスタートからカットまで、
「その人が本気でそう思ってそう言っている/している」
をつくることである。
現代語で滅多に言わないセリフ「なにい?!」
で考えよう。
時代劇のようにいう必要はない。
本心から驚けば、
「なにい?!」と言葉通りでなくても伝わる芝居になるものだ。
ここまでが中級の芝居。
さらに芝居の上手い人は、
「観客が見てて気持ちのいい『なにい?!』」
を持ってくる。
そういう形の芸のようなものだね。
それをナチュラルに出来るのが、
芝居の上手い人。
「自分の気持ちを作ればそのように見られる」
というメソッド演技法よりも一段進んだ、
形を用いる方法だ。
歌舞伎やそれを源流とする時代劇では、
そうした方法論があったが、
現代では失われかけているやり方かも知れない。
形には魂が宿るので、
役者本人が本気でそう思ってるかどうかは関係ないんだよね。
きちんと形が出来てれば、
本気でその役が驚いているように見えて、
かつ楽しめる形になっているはずだ。
そればかり使っていると、
記号を組み合わせた芝居になってしまうが、
大事な場面で形にピタリとはまると気持ち良いものだ。
それは音楽でも同じで、
我々の動物的な何かに訴えるのだと思う。
さらに上級者になって、
はじめて自分の形をつくる。
ただ毎回同じ「ちょまてよ」しか出来ないキムタクは、
更新しない意味で陳腐化してしまったね。
形を持たない方が次どうなるか分からないから、
さらに上級者はメソッド演技法に戻ってくる。
しかも普及してる形と、自分の形も混ぜてくる。
全てを否定せず取り込んで、
しかも文脈に応じて使い分けるのが、
上級者というものだろう。
最近仕事をした俳優は、
この領域に達していた。
だけどまだ20歳なので、
自分の形が少ししかなく、決まり形もバリエーションが少なかった。
ここからカメレオンのように増やしていくと、
まだまだ化けるぞ、と思って楽しみになった。
上手な俳優は、
「毎回それがテイク1のように新鮮に振る舞う」ことが出来る。
下手な俳優は、
テイクを重ねるごとに新鮮さが薄れて、
段取りになっていく。
観客が見たいのはどちらか、明らかだろう。
もっとも、シナリオがそうなっていなければ、
俳優も演じられないけどね。
2021年04月30日
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