2021年04月26日

人に話をするということはどういうことか

物語を話すだけでなく、
講演会で話すとか、ラジオで話すとか、
書き物をするとか、
「人に何かを話す」ときに、共通する特徴があるように思う。


まず、
「その話の内容が面白いこと」が最低条件だろう。

依頼されて話をする場合はそれを期待されているし、
勝手に発信する場合は、そもそも面白くない話は聞かれない。


面白いの定義は難しいが、
「感情を豊かに起伏させて、
最終的にはお土産をひとつ持って帰ること」
だと僕は考えている。

そのお土産とは、
新しく知ったこと、新しく知った考え方、
これまで常識で思っていたことが覆ったこと、
などの、
「新しいなにか」であるべきだと思う。

なぜなら、
すべて知っているもの、すべて知っているものの組み合わせならば、
それは「別に聞く必要はなかった」「知ってた」となるからだ。

人はすでに自分の中にあるものは面白いと思わない。
自分の中になくて、
しかも自分に取り込めそうなものを、
面白いと感じるように出来ていると思う。

だから、
「話す内容」は、
「新しく取り込めそうな話」であるべきだと僕は考えている。


あの店がいいよ、あのアイテムがいいよ、あの人はいいよ、
というオススメ情報でもいいし、
知らなかったんだけどこんな考え方があるとは、
という新情報でもいいし、
自分のこれまではなんだったんだと思えるほど、
世界を変える何かでもいい。

「それは自分に取り込めるぞ」という内容量で、
話の規模が決まると思う。

「あそこの店の焼きそばが美味い」
という簡単に取り入れられる話から、
「相対性理論を学べば宇宙の構造が理解できる」
というなかなか取り入れられない話まで、
規模はバラエティがある。

話す尺に対して話の規模が小さければ「薄っぺらな話」、
大きければ「濃い話」になるだろう。


さて、
話は内容だけで決まるかというとそうではない。

前段と、後段が必要だ。
すなわち三幕である。

この場合の三幕は、ストーリー理論としての1:2:1の三幕ではない。
もっと広義の、
「人が話す話には、三つのパートがある」
ということである。

その二幕部分が話す内容そのものとして、
前段と後段は何が必要だろう?

前段はツカミだ。

つまり、
これから話す内容の触りやサマリーを提示することで、
誘引するということである。

内容がちゃんと話さないといけないものならば、
簡単にはサマリーにできないので、
普通の人が興味を持つところから始めて、
徐々にスライドさせていく方法があると思う。

それと本編が違うのを看板詐欺というが、
うまく選べば導火線になるわけだ。


後段は「パッケージング」だと僕は考えている。

話の内容をお土産として持って帰るために、
「手頃なものに入れて持ち運びしやすくして、
なおかつぱっと見わかりやすくしてあげる」
と言う行為であると。

結論を冒頭と同じものをもう一度言ったり、
分かりやすい図を示して終わったり、
まとめるとこうですとなったり、
「○○が○○という話でした」で終わったりするのは、
すべてパッケージングであると考えている。


まとめるとこうだ。

ツカミ、内容(新しく取り込めそうなこと)、パッケージング


これは、
新しい店の情報であろうが、
こないだ体験した恐怖の話とか、
○○に役立つ新しい考え方の話とか、
相対性理論とか、
すべらない話とか、
物語とか、
すべての「人の話に共通なこと」だと僕は考えている。

これが上手な人が「話が上手い人」で、
この内容が面白い人が「話の面白い人」である。

つかんで(誘引して、期待させる)、
内容が面白くて、
そこから新しいものを持って帰るお土産が持ちやすいものになっている。


あなたはストーリーのテラーであるが、
それ以前に、
面白い話をする人であるべきだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:07| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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