「日本語で考えながら書くこと」を、
先の例文で考えてみる。
弁慶は、薙刀を縦横無尽に振るった。
を考える時、
まず主体の「弁慶」が頭の中に現れるわけである。
それが何かをする。
手に持った、彼の代名詞である薙刀で、だ。
だから、
弁慶は、
と主役(話題)をまず書き始めて、
弁慶は、薙刀
を次に繋げると思う。
このあと「薙刀で」何かをするのか、
「薙刀を」どうにかするのかはまだ考えていない。
仮に「薙刀を振るう」と思ったとする。
頭の中で、
弁慶は、薙刀を振る
まで出てくる。語尾部分はまだなく、語幹留めだろう。
さらにどういう感じなのかのイメージ(付帯状況)を、
もう少し足したいと思う。
「雨の中で」「重たい」「勇壮な」などだ。
色んな候補から選んでもいいし、
最初から「縦横無尽に」が決まっている場合もあるだろう。
で、
弁慶は、薙刀を(縦横無尽に)振る
とインサートが動詞の前にされるわけだ。
「薙刀を」と書いた時点で「振るう」まで見えたが、
少し立ち止まりこれを挿入した。
どう締めるかを考え、現在型よりも小説っぽい過去型にしようと思う。
これで「文になった」と確信して「。」を打ち、
弁慶は、薙刀を縦横無尽に振るった。
までが出来上がると思う。
この構造において、
弁慶は、薙刀を縦横無尽に振るった。
ーー○○ーー○ーーーー○ーー○○○
の○の部分が、膠着語としての日本語の特徴を表している。
つまり、「ー」で表されることばを、
くっつく言葉で繋げて文を作る、
という構造が日本語である。
我々は日本語話者だから、思考や言語はこういうものだ、
と考えているがそうとは限らない。
Benkei swung his naginata infinitely.
だと、まず「弁慶が振るった。」が構造として先にあるわけだ。
次に薙刀が出てくるが、
英語は単なる薙刀なのか新しく出てきた薙刀なのか、
それとも彼の薙刀かを表す余裕がある。
最後に日本語で挿入された付帯状況が張り付く。
「語順がひっくり返る」などとよく言うが、
英語話者が語順をひっくり返しながら考えているわけではなく、
英語話者は頭から考えるわけである。
つまり英語話者は、「弁慶が振るった。」をまず想像して、
薙刀や縦横無尽は、決まった内臓位置におくわけである。
日本語はそうではない。
薙刀の話をしたいなと思った時に、
「弁慶は、」と話題を出すのである。
「は」は主格の助詞ではあるが、
英語文法的な主語を示す言葉ではないという議論がある。
(「象は鼻が長い」の主語は象か鼻かという議論。
「は」は話題を示す助詞で、頭の中に「これから象の話をしますよ」
とインストールする助詞である、という説明が僕にはしっくりきた)
弁慶の話題なんだけどさ、
薙刀の代名詞じゃない?
それがさ、薙刀を振るうわけ。
超かっこいいよね。
思考の順だとこういう感じ。
英語話者の思考の順とは明らかに異なる。
日本語で考えるとは、
連想ゲームをしていって、
それらを「○」に相当する言葉、
薙刀式では「繋ぎの語」と呼んでいるが、
それらを変形させながらくっつけて、
構造を編んでいくようにすることだと思う。
英語で考える時は、
オブジェクトの状態を確定したら、
あとはオプションを選ぶだけ、みたいなことになっていて、
まずオブジェクトをどう定義するのか、
みたいな考え方になっていると僕は思う。
僕は日本語ほど英語で考えられないため、
バイリンガルの方がいたらもう少し深く議論したいところ。
で、
日本語の特徴であるところの、
繋ぎの語を都度変形させながら、
次へ繋げていく感じの動作に、
薙刀式の構造がよく合っている、
というわけである。
繋ぎの語とは、
助詞、助動詞とその活用語尾、動詞や形容動詞の活用語尾、
接頭語や接尾語や複合語として貼り付くもの、
句読点、接続詞、
などである。
これらを使って、「ー」を繋げていくことが、
日本語で考えること(書くこと)ではないかと、
僕は考えている。
ていうか、ぶっちゃけ、
僕はそう考えたいのに、
そう出来るタイピングの方法がなかったから、
そう出来るものを作った、
と言えるわけだ。
最初からここまでディテールが分かっていたわけではなく、
「従来のタイピングでは自分の考えを書きづらく、
自分の書き方に合わせたタイピング法を編み出していったら、
自分の日本語の構造が見えてきた」
というべきだろう。
理論が最初からあったのではなく、
形や名前のなかった僕の「思考」を、
言葉化、システム化してみたら薙刀式になった、
という感じだ。
もちろん、「日本語で考える」は、
あくまで僕の脳内でやってることに過ぎなくて、
他の日本語話者も同様かはわからない。
ただ、「言語の形態が思考様式に影響を及ぼす」ことには、
反論の余地はなさそうなので、
当たらずとも遠からずだろうなと考えてはいる。
思考とは、書くことは、繋げることである。
薙刀式は、繋ぐときに最も活躍する配列だ。
思考しながら書く時に最適化されている、と言えるかも知れない。
(似たことを考えたのが飛鳥配列かな。
だから飛鳥理論は読み解きたいのだが、
あまりにもややこしくて部分的にしか分からない。
一方新下駄を代表とする統計連接をもとにした配列、
新JISなんかも、
「考えようが考えるまいが、文章完成の効率化が確率的にできれば良いのでは」
と考えている節があるように思う)
2021年04月23日
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