2021年04月24日

【薙刀式】考えながら書くということ2

そもそもコピー打鍵と創作文(自由文)は、
頭の使ってる部分が異なると思う。

自由文は、
「完成した文を写像する」ではない。
「書きながら考える」だ。


「弁慶は、薙刀を縦横無尽に振るった。」
でたとえるなら、
この文が最初から頭の中に出来ていて、
それをコピー打鍵することが文を書くことではない、
ということだ。

どういうことを書こうかな、
薙刀と弁慶について書こうか、
と思った時点で前半部分で先に手を動かして、
手を動かしながら次を考えるのである。

文章が出てくる速度が遅く、
ベルコトンベア式にコピー打鍵しているわけではない。

「次の考えは、手を動かすことで出てくる」なのだ。


手書きにおいては、
「手を動かす」ことが、「次の考えを生む」。
あるまとまった考えがあるのではなく、
書き始めたら考えが更新されていくのである。

つまり、
完成したものが脳内にある状態スタートで、
それをコピー打鍵しきれば終わりではなく、
なんだかモヤモヤしているが、
最初の部分を言葉にしたことで、
次々と言葉になってゆき、
曖昧だった考えが、更新されてディテールをもち、
それをまた言葉に出来るようになってゆく。

書くことと考えることは、
フィードバックループになっている。

「考え終わったぞ」は、
寝っ転がって頭の中で完成させるのではなく、
「書きながら全部終えたぞ」のときなのだ。

これは、
僕が脳内発声がないからだろうか?
脳内発声の代わりに、手が言葉を出力してるのだろうか?
脳内発声があったとしても、
「考え」というのは全ての言葉があるわけではなく、
大体の何かがあって、
端っこを言葉にしてみたら、
次々と残りがその影響を受けながら、
言葉になってゆくのではないか、
と想像する。

脳内の発声なのか、「手の動き」なのか、
という違いだと思う。


薙刀式が考えながら書くのに向いている理由は、
その「手の動き」が、
「次の言葉」を呼びやすい構造になっているからだと考えられる。

話題の語(ー表記)はそれほど速くもないが、
繋ぎの言葉(○表記)が速いことで、

ーーー ○○ーーー とか、
ーーー○○ ーーー○○
などのように、
「繋げていく」書き方が速く、思考を邪魔しないように思う。

助詞が人差し指中指に集中していること、
語尾部分が右手アルペジオや左→右の速い左右交互になっていること、
句読点が人差し指でブロックを区切ること、
などによって、
○○○部分を優遇して自分の意思を伝えやすくしている。


日本語は膠着語である。
膠(にかわ)で、
単語同士をくっつけて文をつくっていく。
文法上の膠に当たる部分は正確に知らないが、
僕が思うところの接着剤の部分を、
「繋ぎの語」とした。
この接着剤を流れるように速く打てることで、
「速く次のーーーをくっつけろよ」と、
「考えを先に進める」ことを促すのが、
薙刀式だと言える。


他の配列ではどうだろう。
これは薙刀式特有の特徴か?

新JISを触った時は、それほど感じなかった。
飛鳥ではわりと感じた。
新下駄では時々感じたが、飛鳥ほど強くなかった。
下駄ではそれほどでもなかった。(元月配列、元新JISだから?)
親指シフトは左手の中指薬指が痛くなるほどそのへんに集中してた気がする。
JISカナは感じる前に小指が痛くなった。

無意識化できた配列はほとんどないし、
試した配列はわずかなので、
中途半端な感想ではあるものの、
この中では飛鳥が群を抜いて薙刀式に考え方が近いと感じた。

飛鳥は最初に興味を持ったカナ配列ではあるものの、
記憶負担や指の動線が煩雑すぎて挫折。
しかしいつか触り直してみたい配列ではある。

(飛鳥文書を解読したいんだけど、
自分の感覚を優先しすぎて抽象化が行われていない部分と、
誰もに共通化できる部分との分離がとても難しくて、
疲れるので途中で止まっている…。
その度に途中版の配列図を理解するのもしんどいしなあ…)


飛鳥のRayさんと僕の共通点は、
「日々結構な量を書く」ことだろうか。
元々僕はここで脚本論を書いてて、
今も毎日書いてるんだけど、
それに加えて薙刀式の記事も書いてるので、
プロブロガーなみになってしまっている。
Rayさんが書いてたのは配列に限ったことではあったが、
それにしても膨大な量だ。

しかもコピー打鍵ではなく、
すべて自分の考えを文章化したものだ。

当たり前なんだけど、
「文房具は自分の考えを著すためにある」
ということだと思う。


親指シフトや新JISが開発された頃は、
「清書」という需要が少なくなかった。
親指シフトは、「いずれ皆がキーボードで文字を書く時代になる」
と見越した最初の配列だと思うが、
実際に速かったのは、
事務のお姉さんの清書、コピー打鍵だったと思われる。
(目撃談もおおむねデスクのお姉さんなんだよね)

「自分の言葉で、考えながら、
大量の文章を書く」
という需要そのものが、
新配列開発者にあるのかどうか、だよね。

「どんな文章が来ても、確率的に効率化しよう」
と、全対応したのが新下駄を筆頭とする統計系配列だけど、
飛鳥や薙刀式はそうではなく、
「書きながら考える」を用途として最重視していると思う。

(だからタイプウェルでは強くない)



僕の触ったことのない配列の方が多いので、
他もそうなってたら教えていただきたい。
あるいは、全く違うやり方で、
大量に文章をタイプしている方がいたら、
その考え方も知りたいと思っている。

(親指シフトはすでに効率が悪いと僕は考えている。
たとえ最上の物理キーボードだとしてもだ)
posted by おおおかとしひこ at 10:34| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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