どのような話であれ、
つかめて、内容がおもしろくて、お土産を持って帰れる形式がいいと思う。
物語ではどういうことだろう。
ツカミの誘引は、内容を期待させなければならない。
お土産のパッケージングは、一枚絵でイコンにしたり、
短い決め台詞で象徴したりするべきだ。
(テーマそのものを口で言うのは、
間接話法形式である物語では、下の下の手である)
そして内容そのものは、
「新しく自分に取り込めそうなこと」であるべきだと思う。
流行スタイルのガワを映画がまとうのも、
それを意識しているからである。
あるいは、オチそのものが、
新しく自分に取り込めそうな考え方、教訓であるべきだ。
「自分の欲望ばかり追求すると破滅する」でもいいし、
「大切な人を大切にするだけで世界は潤う」でもいい。
(これを中二病的なオチにしたがる若者がいるが、
それは「世界をこのように考えるとみんなびっくりするぞ」
と思っているからだ。
しかし大人たちは「それは現実にはなかった」とすでに知っているので、
そのイキリが恥ずかしくなるのである)
また、物語においては、
「内容自体は聞いたことがある古いものだけれど、
この新しい取り込み方なら自分に取り込めそう」
というものも価値を持つ。
勧善懲悪、弱いものが強くなる話、ラブストーリーなどが、
同工異曲ながらなくならず、
むしろ王道の更新をし続けているのは、
そうした理由である。
僕の仮説だが、人類が好む物語の原型があって、
その型にはまればおもしろいと思う機構があるように思う。
勧善懲悪や、部族が団結する話や、恋の実りは、
こうした原型なのではないかと考えている。
進化論からすれば、
このような物語を良いと思う生き物が、
そのように部族を編成したがゆえにたまたま生き残れたわけである。
つまり、内容は、
全く新しい内容でもいいし、
大雑把なものは古いが、
ここが新しい部分なのだ、と言うことでも良い。
ただ、「新しい部分」は、
とても自分に取り込めない、意味のないものではなく、
自分に取り込めそうな、よさげなものである必要がある。
たとえばある人にとっては宗教映画はものすごく効くものになるが、
その準備のない人にはそれは取り込みにくいものになるわけである。
物語の原型は宗教と深い関係がある。
「ある考え方を自分に取り込ませるための形式」だからだ。
物語は洗脳とも深い関係にある。
作者が神でファンが信者という言い方は、
たとえでなくマジになる時もある。
これらは重なり合い、混同されている。
宗教的な思想にせよ、新しい役に立つ考え方にせよ、
お得情報的なニュースにせよ、
その内容が面白くない話は面白くない。
どんなにワクワクする冒険譚や、
どんなにうっとりするラブストーリーであっても、
「自分に取り込める要素」がないものは、
「見た意味がなかった」という感想になる。
たとえば「上流階級の社交会での話」なんてのは、
煌びやかで面白そうとは思うけど、
一切庶民の私に関係ない話なら意味がない話になる。
しかしこれが、
「庶民が上流階級に入って、堅苦しい上流階級を変えていく話」や、
「日本の上流階級の裏側を暴く話」、
「日本の上流階級は、とても庶民には真似できない、
深い意味があったのだ」なら、
私と関係ある話になるため、
「面白く」なる。
ロスチャイルドがどういう陰謀を持ってるか知らないが、
「坂本龍馬はロスチャイルド資金を受けていた」になると、
急に面白くなるのは、
「自分と関係してそう」と思うからだ。
坂本龍馬じゃ足りないなら、
「現在の日本の上級国民の○○と○○はロスチャイルドの手先であり、
我々を洗脳しようとしてる」
なんてなったら、急に「面白い」になるよね。
架空の話だろうが、真実の話だろうが、嘘の話であろうが、
これはすべての「人の話」に共通する構造だと、
僕は考えている。
ストーリーを作るのが上手い人は、
つまりは講演会で話しても面白いのだ。
それは、「人の話を人が聞く」構造を、
理解して、かつ実践できるからである。
ストーリーとは、「人の話」の中の一部であるから、
事件や伏線やどんでん返しや行動や動機やクライマックス、
などのストーリー特有の部分構造を議論しがちだけど、
実はもっと広い意味での「話」の特徴を備えている、
ということである。
物語と噂話と宗教と陰謀論と体験談とお得情報に、共通のもの。
それらをマスターすることで、
あなたの話は面白く、うまくなるだろう。
2021年04月27日
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