2021年04月29日

【薙刀式】清濁半濁同置

薙刀式はとてもレアな、清濁同置、かつ半濁同置の配列だ。
日本語は、清音から濁音、半濁音に派生しているものが多いから、
それらは同じ所にいるべきだと僕は考えた。


これと対になる考え方は、
「頻度通りに優先的に並べればよく、
連接はメジャーなものを優先すると良い」
という統計主義だ。

統計主義に対して、
薙刀式の考え方を構造主義と呼ぼう。

統計主義は数学的合理を尊ぶ。
速さ、楽さのファクターは、
大数の法則から、統計に従うであろうと。

一方構造主義は、
日本語の構造を論理配列に反映させて、
運指の構造を日本語の構造に合わせようとする考えだ。


極端すれば、
「エンターやBSは文字領域と別とする」
はプリミティブな構造主義で、
「エンターやBSも含めて、
よく使うやつが近くにいる」
のが統計主義。
「エンターやBSは、よく使う位置かつ構造を区切る位置」
が、進んだ構造主義だろう。


機能キーまで配列に含めて設計している配列は少数派なので、
多くが機能キーはプリミティブな構造主義的に考えているのかも知れない。
(エミュレータで実装困難という現実的な条件もあったろうが、
今ならQMKやかえうちで、いかようにもなりそう)


半濁音の話に戻すと、
僕は半濁音に関しても構造主義の立場をとっている。

「分」を例にとれば、
「一分」「分配」「分別のある」
はすべて「同じ概念」の「分」にすぎず、
読み方は前後から影響を受けた音便形である、
というイメージで日本語を捉えている。

だから、「分」という概念に対して、
「ふ」「ん」という指の動きが対応するように考える。

これに、濁音同時押しまたは半濁音同時押しになることで、
音便形になるという程度のことだと。


だから、濁音別置、半濁音別置における、
ふん、ぶん、ぷんで、
運指が変わってしまうことに耐えられない。
頭の中の対応関係(概念と指の動き)が、
違うもの扱いになってしまうからだ。

これは、僕が脳内発声がないことと関係しているかも知れない。
脳内発声があれば、
音声に準じれば違和感は感じないだろうからだ。
なまじ脳内発声がないことで、
概念と指の対応関係が一対一になってしまうのだろう。

都度、音便になるたびに概念を拡張すればよい、
という柔軟な対応もあろうが、
だとすると記憶するべき概念が膨大になってしまい、
運指の定着までいかなさそうだなあと思う。

実際、親指シフトの半濁音は全く覚えられなかったなあ。



などと思いながら、
半濁音のことを調べていたら面白い文献が出てきた。

日本語における半濁音化をめぐる問題
https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/2/26759/2014101615502434461/kamakura_23_816.pdf

江戸時代の声明の資料には、半濁音記号が存在したという研究。
古語音韻論とでも言おうか、
「今の発音と昔の発音は違った」のかどうだったのか、
という研究のジャンルだ。

半濁音はかつてなく、途中で出来たという説があるが、
じゃあいつどのへんでどう出来たのか、
というのを調べるわけだ。

半濁音に関してはかなり確立された法則があることが、
この文献のまとめから類推できる。


つまり、半濁音は、構造的だと僕は考える。
半濁音を統計的に扱う合理も認めつつ、
構造主義的な立場として、
半濁音も日本語の構造を意識した配置にするべき、
とここでは主張しておく。


もっともこれは日本語限定の話で、
外来語が入るとその限りではないだろう。

とくにp音はpl、prあたりと連接しやすいから、
パ行とラ行が連接しやすい方が有利かも知れない。
spもあるか。
(薙刀式では「スプーン」の「スプ」が薬指段越えの悪運指)

ローマ字のカタナ式を作ってたころは、
この辺の子音連接は意識してpfvあたりを置いたが、
脳内発声があったからかも知れない。




などという議論を配列界隈であまり見たことがなかったので、
整理してみた。

「マイナーカナはマイナー位置でいいんだよ」
な親指シフトの半濁音を思い出したので、
これに反論するには、
構造主義という考え方を出せばいいのかな、
と思ったのだ。


先日の句読点の議論についても、
僕は構造主義的立場だ。

別に対立を煽るつもりはないが、
配列を理解する一助になればと分析してみた。
posted by おおおかとしひこ at 17:58| Comment(6) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
濁点半濁点は発音記号のようなもので、同じ漢字に変換するのであれば不要であって然るべきなんですよね。
Posted by mentaiko at 2021年04月30日 00:02
>mentaikoさん

なるほど、漢字なら清音でも変換してしまう手もありますね。
「やはり」と「やっぱり」の例外もあるから万能ではないものの、
多くの半濁音はそれでいけたりして。

ただ連濁の例が多すぎて濁音はきびしいかもなあ。
そういう辞書を作ったとして、同音異義がかなり増えそう…

「発音記号」というのは確かにそうですね。
僕は脳内で音と関係なく慣習で、濁点半濁点をつけてます。
スペリングだと思ってる感じ。
Posted by おおおかとしひこ at 2021年04月30日 00:17
音声的には「まみむめも」と「ばびぶべぼ」が清音と濁音の関係にあるはずです(馬「ま/ば」、美「み/び」、無「む/ぶ」、米「め/べい」、母「も/ぼ」)。
また、歴史的にはパ行音がファ行音を経てハ行音に変化してきたと考えられています(唇音退化)。
であれば、「マ行とバ行」「ハ行とパ行」をそれぞれペアにするのが清濁同置のセオリーだと思うのですが、そこに着目した配列はどうやら見当たりませんね。
Posted by mobitan at 2021年05月09日 04:24
>mobitanさんコメントありがとうございます。

音声学的はそうでしょう。
みんな文字の表記に引っ張られてる説。
行段系ローマ字では、kg、td、szをペアにしたとき、
hbをペアにして、mのペアが空いてるのでmpとペアにすることは、
よくありますよね。
これを、hp/mbとすれば音声学的には妥当なのでしょう。
ただ出現率だとmpがダントツ低いので、
これをペアにした方が合理ではある。

そういえばカタナ式ではpを別にして、pfのペアにしてましたね…。

カナ配列では文字表記に引っ張られて、
音声学的なことは考えられていないでしょうね。
僕は脳内発声ない派なので文字表記だけで十分ですが、
脳内発声のある人はそこまで考えた配列の方が使いやすいのかも知れません。


連濁の問題だと、
「張る」「突っ張る」のように、半濁音の連濁化があります。
hp同置だとこれはやりやすいでしょう。
しかしmはbに連濁しない?と思われます。
「盛る」が「ぼる(ぼったくりの意味)」に転化することはあるけど、
連濁ではない。
あとから成立した標準語にはなく、方言には残ってそう。


と、色々ねじれが面倒なので、hbpすべて同置の薙刀式は楽だなあ。笑

ちょうどブリ中トロがmp同置を一部実現したのを聞いて、
ちょっと考えたいなあと思ってたところです。
この辺はとくに脳内発声派の意見を聞いてみたいところ。
Posted by おおおかとしひこ at 2021年05月09日 12:57
たしかに /m/ と /p/ は連濁の関係ではありませんね。清濁同置を連濁への対応とみなすなら、やはり /h/ /p/ の同置が合理的だと思います。/h/ から /b/ への連濁は例が少ないですし。
私は脳内発声ある派ですが、清濁同置はもっぱら記憶負荷削減のためで、キーボードで音声を入力しているという感覚はありません。
ハングルのように文字と音声がきれいに対応している体系だと、このへんの議論はもっとシンプルになるのでしょうね。
Posted by mobitan at 2021年05月09日 14:06
>mobitanさん

音声をそのまま入力する感覚ではないのか…参考になります。
Phoenixやかわせみみたいに子音母音同時押しだと近くなるんでしょうかね。

ハングルは新しい分整理が進んでるのでしょう(あんまり詳しくないですが)。より人工的な匂いがします。人工言語エスペラントが覇権を取れなかったのも、人工的な整理よりも人間は歪んでるからでは、と僕は考えています。幾何学的な家には住みづらいことと似てるかなと。

kstnhmyrwが口の奥から手前に順に動かすように並べられてある、という説を聞き、縦笛みたいに子音が縦に並んだ行段系を作れないかと思ったことがありますが、
今なら自作キーボードで出来るかもしれません。
それが使いやすいかは、「口の感覚と手の感覚は違う」みたいな議論がありそうですが。


ブリ中トロがmp完全同置になったら、
新しい感覚になるかもですね。
Posted by おおおかとしひこ at 2021年05月09日 14:40
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