2021年05月09日

「おもしろい」と「夢中」はちがう

面白いストーリーとはなんだろう。
一言で表すのはとても難しい。
しかし、そのストーリーに「夢中」になっているときを、
分離した方がいいと思った。


たとえば、
ヒロインが好きになって、夢中になっている時、
そのストーリーを「面白い」と勘違いすることがある。

いや、ストーリーは面白くないんだけどね、
とうまく分離できてればいいけど、
冷静に分離できない人は、
好きで夢中であることと、
ストーリーが面白いことを混同したりしてしまう。

「それ」を示す名称が「作品名」しかないからね。

たとえば、
「ロッキー」は面白い、と言った時に、
ストーリーが面白いのか、
ただスタローン好きなのか、分離しづらいわけだ。

もっとややこしい例だと、
あるアイドルの曲が好きなのか、
それともアイドルが好きなのか、
分離できないことがあるよね。

「別のアイドルがその歌を歌っていたら?」
と想像する力を持つと良い。

女アイドルの歌を仮に男アイドルや演歌歌手が歌ったとしても、
なお歌詞世界や曲調に感動があるならば、
アイドルではなく楽曲がいいということ。
逆にそのアイドルが歌うどんな歌でもキラキラして見えるなら、
それはそのアイドルに夢中なだけと判断できる。


これはストーリーにも言える。
「○○が面白い」というとき、
常に僕は「○○のどこが面白い?」と聞く。
その部分Xが別のZに交換してもなお面白いかどうかを、
想像するためである。

たとえば役者がいいとか、
絵がきれいとか、
音楽がいいとか、
分解できているとき、
それを別のパーツに交換しても、
ストーリーの面白さが変わらないなら、
それはストーリーそのものが面白いわけで、
パーツを交換したらその夢中がなくなりそうなら、
それはそのパーツに恋しているだけかもしれない。


僕は車田漫画が大好きだが、
それは描線の繊細さと豪快さに魅了されていて、
二転三転する展開に夢中だからだ。
それがなくなった聖闘士星矢以降は全然好きじゃない。
車田漫画は、ストーリーが面白いという訳ではないことは、
ドラマ版をやるときにプロとして分析して気づいてしまったことだ。
そうでなければ永遠のファンでいれたのに。


自分の中でパーツを入れ替えて想像できない人は、
プロにはなれないと思う。
ただのファン目線でしかないと思う。

最近、某人気女優を撮影したのだが、
彼女が出てればなんでも好き、という人は多いだろう。
もちろん、彼女でなくても面白いフィルムに仕立て上げたが、
それは、夢中と面白さを分離できたと考えている。


夢中は好き嫌いとか、嗜好だったりする。
面白さはその評価軸にないものだと思う。

でも一回好きになったらあばたもえくぼなので、
なんでもかんでも面白いって言ってしまうんだよね。

昔のジャニーズファンは、
クソ曲でもキャーキャー言っていた。
古参のジャニーズファンは、
本人にはキャーキャー言っても、
あてがわれている曲がよくない、
なんて分離できるだけの分別がついてきたと思う。

冷めたわけじゃないんだ。
冷静と情熱の間を行き来してるだけで、
それは浮き足立ってない分、
ただしいものの見方だ。



あなたを夢中にさせているのはなにか?
面白さとどう違うのか?

あなたの書くものに夢中はあるか?
面白さはあるか?
posted by おおおかとしひこ at 00:08| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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