2021年05月11日

記憶の圧縮

人はストーリーを線で記憶できない。
点でしか記憶できない。
これは僕の仮説だ。


もう少し具体的に考える。

ストーリーとは問題の解決である。

つまり、
事件の発生、
解決までの展開、
解決の理屈(どうやって解決したか)がある。

そこにいろんな人が出てくる。
その人には登場時の第一印象がある。
そしてその人なりの事情がある。

多少それらが前後したとして、
大体これらの要素をならべると。

第一印象、事件の発生、事情、解決までの展開、解決の理屈、
名場面、登場人物への印象

あたりの順でものごとが描かれる。
途中途中に名場面が何度か挟まれるに違いない。

で、事件を解決し終え、
それを解決した人(たち)に好印象やねぎらいの感情を抱いて、
物語というものは終わる。(ハッピーエンドの場合)


で、記憶というのは、
これらを一つ一つ繋げて覚えられず、
バラバラに記憶するというのが僕の仮説だ。

なんなら、
間のものを全部飛ばして、
入り口と出口で記憶する。

つまり登場人物の第一印象と、
ラストの登場人物の印象だ。

この二つが繋がり、同居して、
「はじめは○○だと思ったけど、
最後には○○になって、よかった」
と圧縮されるのではないか?

これと主役俳優がリンクされて、
たとえば
「松坂桃李が、
はじめは尖った嫌なキャラだったんだけど、
最後には優しい頼れる人になってて良かった」
という具体的な記憶となる。

そしてそれがさらに忘却曲線をすすむと、
「松坂桃李は良かった」
まで圧縮される。

そしてそれがさらに進むと、
「松坂桃李好き」か、
「あの映画は良かった」
まで圧縮される。

具体的人物への印象の方が記憶として残りやすいから、
人=「好き」だけが残るという仕組みだ、
というのが僕の仮説である。


こうして、
ストーリーが良かったのに、
俳優が得をする仕組みになっていると僕は考える。

同時に、ストーリーの作者=脚本家は評価されづらい仕組みになっていると。
だからかつては脚本家に俳優よりも高いギャラで報いたものだが、
最近はどうなんだろうね。
「人気俳優に客がつく」
というビジネスモデルになってから、
実態以上に俳優女優が持ち上げられすぎたかもしれない。


人間はストーリーを記憶できない。
それは最終的に登場人物への記憶に圧縮される。
さらにそれは中の人(=タレント)への印象に圧縮される。

このように考えると、すべては分かりやすい。

なぜ人気俳優を集めた映画が100%成功しないのか?
人気俳優たちが人気がなくなったから失敗した、
わけではないのにだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:14| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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