2021年05月07日

【風魔】運命のうねり

原作風魔の魅力は沢山あるんだけど、
リンかけや星矢にない魅力って、
運命のうねりじゃないかなあと思うので書いておく。


死んでも生き返らないことが、
それを保証している。

あるいは、
小次郎と武蔵が宿命のように最初に出会うところや、
麗羅たちが「今日出会ったことを不運と思え」と言われるところや、
カオスとコスモの関係みたいな大きな運命的なこととか。

人間は出会ったり別れたり、
生まれたり死んだりするが、
それが何か大きな運命のようなものに乗っかって、
小舟のように揺れている感じ、
それが向こうからやってきたもう一つの小舟に出会うような感じ、
その奇跡、その不思議、
みたいなことが、
風魔には描かれているように感じる。

僕が車田バックと呼んでいる、
白黒の渦みたいなやつで、
それは象徴されるような気がする。

リンかけ後期には確立してたそれは、
反乱編にはあまり出てこない。
富沢順が抜けてからあんまり見られなくなったから、
彼の得意技だったのかも知れない。

リンかけは死なないから、
運命みたいなものはあまり感じない。

星矢は死ぬかも知れないが、
宿命的な何かを感じるほどのダイナミズムがない。
それは聖衣が決まってて、
その役割を演じるだけでおしまいで、
動的なドラマをあまり感じないからかもだ。
(聖闘士が裏切って、とか、
誰かの星座を譲り受けて、などの役割の変化する展開はあまりなくて、
一旦アテナの聖闘士になったらその役割はフィックスだ。
それは鬼滅でも同じだったね。炭治郎は結局柱に昇格しなかった)


「車田ロマン」というのは編集者が勝手につけたキャッチコピーだとは思うけど、
僕はそれは運命のうねりのダイナミズムのようなもの、
と勝手に思っている。
リンかけでも、河井武士の出生の秘密(阿修羅)や、
剣崎と石松の決着に、
運命のうねりを感じたなあ。


作劇上、死というのは大きな変化のひとつだから、
運命を描きやすいのかも知れない。
次々に死に、生き残り、苛烈な運命を乗り越えてゆく話が、
みんな大好きなのかも知れないけどね。


そうした運命のうねりの魅力が、
反乱編では消失していた。
もっというと、聖剣戦争が始まる前までしか、
感じることができなかった。
(竜魔がコスモの最後の一人、
というのは無理があると思ったが、これもうねりのひとつだ。
伊達や死牙馬をもっと掘ってくれることを期待してたよな)

そのうねりの消失が、
風魔の可能性をとざしたのかも知れないと、
今なら考えることが出来るかな。

だから僕が原作風魔に、得体の知れない魅力を感じるのは、
やはり前半戦なんだよなあ。
これをそのまま延長して、あり得た風魔の世界線を作れないものだろうか。
posted by おおおかとしひこ at 21:52| Comment(0) | 実写版「風魔の小次郎」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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