原作風魔の魅力は沢山あるんだけど、
リンかけや星矢にない魅力って、
運命のうねりじゃないかなあと思うので書いておく。
死んでも生き返らないことが、
それを保証している。
あるいは、
小次郎と武蔵が宿命のように最初に出会うところや、
麗羅たちが「今日出会ったことを不運と思え」と言われるところや、
カオスとコスモの関係みたいな大きな運命的なこととか。
人間は出会ったり別れたり、
生まれたり死んだりするが、
それが何か大きな運命のようなものに乗っかって、
小舟のように揺れている感じ、
それが向こうからやってきたもう一つの小舟に出会うような感じ、
その奇跡、その不思議、
みたいなことが、
風魔には描かれているように感じる。
僕が車田バックと呼んでいる、
白黒の渦みたいなやつで、
それは象徴されるような気がする。
リンかけ後期には確立してたそれは、
反乱編にはあまり出てこない。
富沢順が抜けてからあんまり見られなくなったから、
彼の得意技だったのかも知れない。
リンかけは死なないから、
運命みたいなものはあまり感じない。
星矢は死ぬかも知れないが、
宿命的な何かを感じるほどのダイナミズムがない。
それは聖衣が決まってて、
その役割を演じるだけでおしまいで、
動的なドラマをあまり感じないからかもだ。
(聖闘士が裏切って、とか、
誰かの星座を譲り受けて、などの役割の変化する展開はあまりなくて、
一旦アテナの聖闘士になったらその役割はフィックスだ。
それは鬼滅でも同じだったね。炭治郎は結局柱に昇格しなかった)
「車田ロマン」というのは編集者が勝手につけたキャッチコピーだとは思うけど、
僕はそれは運命のうねりのダイナミズムのようなもの、
と勝手に思っている。
リンかけでも、河井武士の出生の秘密(阿修羅)や、
剣崎と石松の決着に、
運命のうねりを感じたなあ。
作劇上、死というのは大きな変化のひとつだから、
運命を描きやすいのかも知れない。
次々に死に、生き残り、苛烈な運命を乗り越えてゆく話が、
みんな大好きなのかも知れないけどね。
そうした運命のうねりの魅力が、
反乱編では消失していた。
もっというと、聖剣戦争が始まる前までしか、
感じることができなかった。
(竜魔がコスモの最後の一人、
というのは無理があると思ったが、これもうねりのひとつだ。
伊達や死牙馬をもっと掘ってくれることを期待してたよな)
そのうねりの消失が、
風魔の可能性をとざしたのかも知れないと、
今なら考えることが出来るかな。
だから僕が原作風魔に、得体の知れない魅力を感じるのは、
やはり前半戦なんだよなあ。
これをそのまま延長して、あり得た風魔の世界線を作れないものだろうか。
2021年05月07日
この記事へのコメント
コメントを書く