2021年05月16日

対立軸を変更する

たとえば、
「塩ラーメンと味噌ラーメンどっちがいいか」ということと、
「そばとうどんはどっちがいいか」ということは全然違う話である。

しかしリライトの時、頻繁にこのようなリライトになることがよくある。


なぜかと言うと、
「対立軸」をいじるからである。

おはなしとは、
「すべての何かに対立軸を発生させて、
それを回収すること」
だと言っても過言ではない。

対立軸というのは、
どちらが価値があるか、でもいいし、
どちらが正しいか、でもいいし、
どちらが勝負に勝つか、でもいいし、
どちらが殺すか、でもいい。

そして多くの場合、これらは複合的になる。


主人公と敵の間に、もっとも大きな対立軸が発生するのは勿論だが、
それぞれの登場人物の間にも、
対立軸が存在することになる。

たとえ味方だとしても、
対比的に異なるのが人間で、
対立しなかったとしても、そのコントラストが何かを象徴することは、
とても良くあることだ。

逆に、対立軸のないものを想像しよう。

全員同じである。
対立は発生しないので、
温かいお湯につかったまま、ずっとそのままである。

全てが一つに溶け合った、ひとつの理想郷だ。

それはつまり、おはなしが発生しないのだ。


おはなしとはつまり、
「異なる部分に対立軸が現れる」ことに他ならない。
もめごと、コンフリクト、バトル、殺し合い、勝負、
などなど、いろいろな言葉でこれは呼ばれる。


さて、
リライトの時に、
対立軸の変更が稀に良くある。

AとBの対立軸を変えて、AとCの対立軸にしようとか、
こちらの対立軸をより強めようとかは、
良くある変更のひとつである。

あるいは、AとBの対立軸は変えずに、
対立する理由を微変更することのほうが、
多いかも知れない。

あるいは、新しい対立軸を加えたり、
ある対立軸をカットすることも良くあるだろう。


このとき、
もともと「塩ラーメンと味噌ラーメンどっちがいいか」
と言う話だったのに、変更後、
「そばとうどんはどっちがいいか」
と言う話になっていることは、
とても良くあることだ。

なんなら、
「麺類とご飯類はどっちがいいか」
「アメリカと日本はどっちがいいか」
みたいに、別物になっていくことも、良くある。

とくにメインコンフリクトに手を入れると、
このようなことがよく起こる。
サブコンフリクトに手を入れた時、
七味を振っただけのつもりが、
マヨネーズくらい味を変えてしまうこともよくある。

あなたは、
その対立軸の変更によって、
どのようなものに変わったか、正確に捉えなければならない。
(そして大抵の場合、
「こうしたつもり」と、「こうできあがった」の間には、
かなりのひらきがある。これを覚悟しておくこと)

そして、
「そもそもどんな話を書きたかったのか」
「それを変更してこのような話に変えてしまうことは是が非か」
を、自ら問わなければならない。

塩ラーメンvs味噌ラーメンの話を書きたかったのだが、
そもそも麺類全般の話にしたかったのなら、
そのように対立軸を変更することは悪くない。
しかしうどんそば論争に参加せず、
塩vs味噌に絞るのなら、その変更は誤りである。
醤油や豚骨を論争に参加させるかどうかは、
また別の選択肢になるわけだ。

そして「書きたかったこと」とはまた別の評価軸にあるのが、
「それが面白いか」なのだ。

あなたが書きたかったとしても、
面白くない出来のものもあれば、面白いものもある。
あなたが書きたくなかったとしても、
面白くないものもあれば、面白いのもある。

書きたくて面白いのが気持ちいいが、
そんなのは観客には関係がない。
面白いものがよいのである。


だから、あなたの仕事は、
対立軸を変更することによって、
より面白くすることだけである。


塩vs味噌の局地戦の方がうどんそば論争より面白いなら、
その対立軸を守るべきだし、
うどんそば論争の方が面白くなるなら、
塩味噌の対立軸を変更するべきなのだ。

その「どちらが面白いか」を冷静に判断できるかが、
リライトのときに最も大事なことである。

それが出来ないのなら、あなたが気持ちいいかどうかで、
筆を進めてしまう危険に陥るのだ。


そして、さらに厄介なのは、
せっかくうどんそば論争に変更したのに、
部分部分に塩味噌の残骸が残っていることである。
それに気づかないままリライトを終えると、
一気通貫性が失われ、作品として立場がわからなくなるものになりがちだ。

さらに厄介なのは、
何回も対立軸の変更をしてしまい、
何種もの残骸が放置されることである。

こうなったらリライトの失敗で、
なにを対立軸にしているかが、
まるで分からなくなってしまう。
だったら素直な初手でいいや、
となるのがそもそもリライトの失敗だ。


こうした判断力やカンは、
沢山の経験を積むことでしか得られない。

初手の対立軸が最高に面白いという確率は低い。
リライトで話を面白くすることの方が、
実際には多い。


この話は○○の対立軸である。
△△という対立軸にしたらどう?
面白くなるかな。
そういう風な目で、リライトをしてみよう。
posted by おおおかとしひこ at 00:08| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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